静岡県富士宮市の写真 富士宮市公式ホームページ:http://www.city.fujinomiya.lg.jp/ |
富士宮市粟倉 | ▼ 富士宮市佐折 ▼ |
富士宮市粟倉/富士山お鉢巡り Trail-20230712、20231005、20240925 ※富士山頂部は境界未定地(静岡県/山梨県のどちらでもない)ですが本HPでは富士宮市に仮置きしています |
●富士宮口頂上にある富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市宮町)の頂上奥宮。 撮影地 |
●頂上奥宮の裏地にある浅間岳(3,722m)。富士山頂八神峰の一つ。大日如来、浅間大菩薩を配置。 地図 |
●山頂に小さな鳥居があり、山全体が禁足地になっている。 |
●頂上奥宮の前にある鎮国之山の銅碑。書家・中林梧竹が明治に建立した。 |
●頂上奥宮の並びにある富士山頂郵便局。1909年(明治42年)に設置された。 |
●頂上奥宮前の山小屋・頂上富士館。 |
●三島岳(3,734m)。富士山頂八神峰の一つ。地蔵菩薩、宝生如来、三島大明神が配置されている。 地図 |
●剣ヶ峰(3,776m)。富士山頂八神峰の一つ。阿弥陀如来、熊野三所大権現が配置されている。 山頂図 地図 |
●山頂部の富士山特別地域気象観測所。 |
●観測所の横が細長い山頂広場になる。奥は行き止まり。 |
●日本最高峰富士山剣ヶ峰の石碑。手前に三角点。 ★解説板 |
●二等三角点(点名富士山、3,775.6m → 3776 みななろう)。皆さんがタッチするためか丸くなっている。 |
●石碑の近くにある日本で最も標高が高い岩。目印に鳥居が描かれている。 |
●山頂広場奥の電子基準点(点名富士山、3,777.4m)。高さ約2mのGNSS機器なので標高が+1.8mになっている。 |
●剣ヶ峰から大内院火口の眺め。古人が「うずくまる虎」に見えたので虎岩になったらしい。 火山解説板 |
●西安河原。初期火口底の平坦地。後の水蒸気爆発で大内院火口が形成されたと考えられている。 撮影地 |
●大沢崩れの頂部。千年以上前から山体西面の崩壊が始まり、現在も進行している。 撮影地 |
●お鉢巡りの道から白山岳方面の眺め。 撮影地 |
●小内院火口(直径100m、深さ50m)。阿弥陀ヶ窪とも呼ばれる。 撮影地 |
●白山岳(3,756m)。富士山頂八神峰の一つ。釈迦牟尼如来、白山妙理大権現が配置されている。 地図 |
●山頂の二等三角点(点名富士白山、3,756.2m)。日本で2番目に高い場所の三角点になる。 |
●白山岳麓にある霊明水石碑。雪解け湧水を神事にて採取し、金明水として浅間大神の御神徳が頂ける。 地図 |
●久須志岳(3,725m)。富士山頂八神峰の一つ。薬師如来、鹿島金山大権現が配置されている。 地図 |
●久須志岳山頂の小さな鳥居。 |
●吉田口/須走口頂上にある久須志神社(東北奥宮)。富士宮口頂上にある浅間大社頂上奥宮の末社になる。 撮影地 |
●久須志神社の並びにある山小屋。手前から山口屋支店、扇屋、東京屋、山口屋。 |
●吉田口/須走口下山道。 撮影地 |
●成就岳(3,734m)。富士山頂八神峰の一つ。大日如来、浅間大菩薩が配置されている。 地図 |
●伊豆岳(3,749m)。富士山頂八神峰の一つ。観世音大菩薩、伊豆大権現が配置されている。 地図 |
●伊豆岳と朝日岳の間は荒巻と呼ばれる。ここではゆで卵が作れるような噴気が昭和中期まで観測された。 撮影地 |
●朝日岳(3,733m)。富士山頂八神峰の一つ。不空成就如来、勢至菩薩が配置されている。 地図 |
●東安河原。朝日岳南麓の平坦地。殉難碑(左)、富士無線中継所記念碑(右)、NTT富士山頂分室(奥)がある。 撮影地 |
●東安河原から西向いて剣ヶ峰方面の眺め。 |
●御殿場口頂上にある銀明水。諸病に霊験あらたかな霊泉水とされている。 撮影地 |
●銀明水前の山小屋・銀明館。富士宮口頂上にある頂上富士館の別館。 |
●銀明水前の御殿場口下山道。 ★解説板 |
●銀明水と駒ヶ岳との間にあるお鉢巡り唯一の鳥居。この先で富士宮口頂上に至り、お鉢一周となる。 撮影地 |
●富士宮口頂上の頂上奥宮前にある駒ヶ岳(3,718m)。富士山頂八神峰の一つ。文殊大菩薩、箱根大権現を配置。 地図 |
●駒ヶ岳山頂近くに安置された銅馬堂(舎)。聖徳太子が祀られている。 |
富士宮市粟倉/富士山富士宮ルート Trail-20230712 ※合目の数字が地理院地図と現地標識等で異なる場合は併記[地理院(現地)]しています |
●水ヶ塚公園駐車場(1,450m)。夏期はマイカー規制なのでここでシャトルバスに乗り換えて登山口へ。 撮影地 |
●富士宮口新五合目(五合目、2,380m)のバス停。水ヶ塚公園からシャトルバスで約30分。 撮影地 |
●バス停から山頂方向の眺め。いつも登るような低山とは違ってグッと見上げる感じになる。 |
●バス停近くにある富士山保全協力金の受付けや富士山総合指導センター。 富士山イラスト |
●受付けの横にあるオールコック記念碑。幕末の頃、9月10日から11日にかけて村山口登山道から登頂している。 銘板 |
●富士宮口五合目標識(2,400m)。富士宮ルートの登山口になる。山頂まで標高差1,376m、コースタイム5時間45分。 |
●新六合目(六合目、2,490m)。山小屋は雲海荘と宝永山荘。 撮影地 |
●宝永山荘の横に宝永第一火口縁に至る宝永遊歩道がある。 |
●登山道の様子。オンタデという多年草が咲いている。 |
●六合五勺(新七合目、2,790m)。山小屋は御来光山荘。 撮影地 |
●七合目(元祖七合目、3,010m)。山小屋は山口山荘。 撮影地 |
●七合目の山小屋前から麓方向の眺め。手前はブルドーザー道。五合目登山口や経由してきた途中の山小屋が見える。 |
●八合目(3,250m)。山小屋は池田館。山小屋横に救護所の富士山衛生センターがある。 撮影地 |
●八合目から山頂方向の眺め。左に見える鳥居から上は浅間大社奥宮の御神域(境内地)になる。 |
●八合五勺の辺りに立つ門柱?か鳥居の残骸。手が届かない上の方まで硬貨が刺し込まれているのが不思議。 撮影地 |
●九合目(表口九合目、3,460m)。山小屋は万年雪山荘。この近くに麓からも見える雪渓がある。 撮影地 |
●九合五勺(3,590m)。山小屋は胸突山荘。ここから山頂までは特に傾斜が強く溶岩塊が大きい。 撮影地 |
●富士宮口頂上の10m手前にある鳥居。 撮影地 |
●富士宮口頂上(3,710m)。左に山小屋の頂上富士館。正面に富士山頂郵便局と浅間大社奥宮。 撮影地 |
▲ 富士宮市粟倉 ▲ | 富士宮市佐折 | ▼ 富士宮市人穴 ▼ |
富士宮市佐折/長者ヶ岳ちょうじゃがたけ 地図 Trail-20230712 |
●田貫湖越しに山頂方向の眺め(長者ヶ岳は雲の中)。 撮影地 |
●山頂広場。樹木多いが富士山方向(東)と南アルプス方向(西)は整備されているので眺望良好。 |
●山頂標識と三等三角点(点名熊平、1,335.7m)。 |
●天気次第で田貫湖越しの富士山が望める。観賞用の丸太椅子とテーブルが並んでいる。 |
▲ 富士宮市佐折 ▲ | 富士宮市人穴 | ▼ 富士宮市宮町 ▼ |
富士宮市人穴/人穴浅間神社ひとあなせんげん神社 地図 Trail-20221011 |
●人穴浅間神社を含む人穴富士講遺跡は世界遺産富士山の構成資産になっている。 案内図 |
●「富士人穴」の扁額がかかる鳥居。 |
●往時の街道沿いにある人穴浄土門之碑。碑を見ていると過去にタイムスリップしたような感覚になる。 解説板 |
●人穴参道に立つ二之鳥居。昔はこの一帯から富士山を遥拝できたが戦後に植林され、今は林で覆われている。 |
●人穴参道両脇に溶岩製らしき黒い石塔が並び、奥に社殿(現建物は平成13年建築)がある。 |
●手前の宝篋印塔は富士講開祖・長谷川角行200年忌(1845年)の際に建立された。 解説板 |
●社殿扁額。往時は光きゅう寺だったが明治の神仏分離令により廃されて当神社が置かれた。 |
●社殿前の溶岩洞穴「人穴」。江戸初期の頃、角行はここで断食/爪立ち/不眠等の修業をし、入滅もした。 解説板 |
●角行入滅後に光きゅう寺が開創(1648年)された。人穴は富士講の聖地となり信者が参詣・修行する場となった。塔 |
●富士講信者が建立した碑塔が並んでいる。墓碑供養碑、祈願奉納碑、顕彰記念碑、登拝記念碑など232基。 解説板 |
▲ 富士宮市人穴 ▲ | 富士宮市宮町 | ▼ 富士宮市村山 ▼ |
富士宮市宮町/富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげん大社 地図 Trail-20221011 |
●二之鳥居。200m程南に一之鳥居も立っている。当大社は世界遺産富士山の構成資産になっている。 |
●狛犬。延暦大噴火(平安初期)の頃、山宮浅間神社から神霊を遷座して当大社が創建された。 |
●三之鳥居。全国に約1,300社ある浅間神社の総本社になる。 |
●手水舎。富士山8合目以上の土地は幕府の裁許(及び最高裁判決)により奥宮境内として社地になっている。 |
●楼門。手前は山宮浅間神社にあるのと同様の鉾立石。大宮口登山道の起点になる。 |
●江戸初期、徳川家康が奉納した社殿。奥の本殿は浅間造りという背の高い建物になっている。 境内案内図 |
●東鳥居横から湧玉池越しに富士山眺望。水によって噴火を鎮める考えから池のほとりに創建されたとみられる。 |
▲ 富士宮市宮町 ▲ | 富士宮市村山 | ▼ 富士宮市山宮 ▼ |
富士宮市村山/村山浅間神社むらやませんげん神社 地図 Trail-20221011 |
●「冨士根本宮」の扁額が掛かる一之鳥居。当神社は世界遺産富士山の構成資産になっている。 案内図 |
●手水舎。平安後期、富士上人末代は富士山を数百回登拝などの修行をし、山頂に大日堂を建て村山修験道を開基した。 |
●下の段広場から二之鳥居と社殿の眺め。室町初期、富士山での修験道が盛んになり村山はその中心地になった。 |
●溶岩を積み上げた富士塚に怖い形相の狛犬が載っている。 |
●村山浅間神社。手前の拝殿・幣殿は鉄筋コンクリート一部木造で再建された。 解説板 |
●拝殿扁額「富士根本宮」。往時は冨士山興法寺であり、当神社と大棟梁権現社が神仏習合していた。 |
●神社隣の大日堂。明治の神仏分離令により冨士山興法寺は廃され大日堂という形になった。 |
●大日堂扁額。往時は富士登山者向けに多数の宿坊が並び栄えていたが表口登山道の開通で衰退してしまった。 |
●社殿後方にある高根総鎮守社。村山修験の開祖「富士上人末代(大棟梁権現)」が祭祀されている。 解説板 |
●村山口登山道沿いに立つ富士山道標。村山口登山道の起点になる。 |
●登山道図。往時は富士山本宮浅間大社(大宮口登山道)から当神社(村山口登山道)を経て山頂南側へ。 拡大写真 |
●国道から社叢越しに富士山の眺め。山頂の大日堂は村山から富士山本宮浅間大社へ売却され同社奥宮になった。 |
●記念碑。 解説板 |
▲ 富士宮市村山 ▲ | 富士宮市山宮 | ▼ page end ▼ |
富士宮市山宮/山宮浅間神社やまみやせんげん神社 地図 Trail-20221011 |
●二之鳥居。1900年前、日本武尊が東国遠征の際に富士の神(浅間大神)を当地で奉斎したのが始まりとされる。 由緒 |
●手水舎。平安初期、平城天皇の勅命により神霊を当地(元宮)から富士山本宮浅間大社(里宮)に遷座した。 |
●籠屋(昭和8年建築)。遥拝所のやや手前にあり、山宮御神幸の際に神職等が一夜参籠するための建物。 |
●籠屋を通って遥拝所の眺め。参道中央に鉾立石、奥に溶岩流の先端部といわれる石段上に遙拝所がある。 |
●遙拝所。富士山信仰の浅間大神が最初に奉斎された場所であり、全国浅間神社の中で最古となる。 解説板 |
●祭壇の石列。本殿等の建築物が無く、遙拝所から富士山を仰ぎ見て神事が執り行われた。 遙拝所石列 |
●樹木が整備されているおかげで遙拝所前から玉垣越しに富士山を望むことができる。 |
▲ 富士宮市山宮 ▲ | page end |