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赤穂市上仮屋町 | ▼ page end ▼ |
赤穂市上仮屋/赤穂城あこう城 地図 Trail-20240330 |
●笠間藩主(現在の茨城県笠間市)・浅野長直は1645年に赤穂藩へ転封となり、1661年に赤穂城を築城した。 案内図 |
●太鼓橋を渡ると大手門から三之丸へ。浅野家3代藩主・浅野長矩(浅野長直の孫)による刃傷事件で浅野家は断絶した。 |
●1955年に再建された大手隅櫓。浅野家断絶後は永井家となり、続く森家は明治の廃藩まで12代続いた。 |
●二之丸に立って本丸石垣の眺め。土橋を渡って本丸門から本丸へ。手前に二の門、奥に二層の大きな一の門。 |
●本丸枡形と本丸門。明治の廃城令で建物は破却され、土地は宅地や学校用地になった。 ★解説板 |
●本丸庭園と奥に天守台。江戸時代を通じて天守閣そのものは建築されなかった。 ★ |
●天守台から本丸御殿跡。昭和初期から赤穂城復元が開始され、門や櫓の一部が当時の姿へと忠実に再現されている。 |
●刎橋門跡。本丸門と反対側に木造橋が架かり、二之丸と繋がっていた。敵襲来の際は橋を切り落とすので刎橋。 |
●二之丸に立って内堀と厩口門の眺め。内堀、外堀ともに都市開発のために埋められていたが、昭和初期に復元された。 |
●二之丸から本丸石垣の眺め。本丸周囲を二之丸が取り囲む輪郭式になっている。赤穂城の石垣は屈曲が多い。 |
●外堀越しに三之丸の南沖櫓台。この辺りは千種川に面していて、川が天然の堀になっていた。 |
●三之丸にある水手門跡と奥に米蔵。千種川を航行してきた船がここに着岸して、物資を搬入していた。 ★ |
●二之丸を南北に仕切る西仕切門。ここを入ると二之丸庭園になる。反対側には東仕切門跡がある。 ★ |
●大石頼母助屋敷の二之丸庭園。明治に大石屋敷は取り壊されたが、近年になってから庭園跡地が整備された。 |
赤穂市上仮屋/赤穂大石神社あこうおおいし神社 地図 Trail-20240330 |
●社号柱と笠部分が屋根形になった献灯が立つ社頭の眺め。赤穂大石神社は赤穂城三之丸にある。 |
●参道に立つ角柱の住吉鳥居。大石神社は明治に創建され、昭和に赤穂神社と統合して赤穂大石神社になった。 |
●参道に並ぶ討入り姿の赤穂浪士四十七士石像。右に表門隊の大石内蔵助以下23体、左に裏門隊の大石主悦以下24体。 |
●大石良雄(よしお)、通称内蔵助(くらのすけ)。赤穂藩筆頭家老を務め、赤穂浪士四十七士の指導者だった。 |
●大石良金(よしかね)、通称主税(ちから)。大石良雄の長男で、赤穂浪士四十七士最年少だが裏門隊の大将を務めた。 |
●昭和初期に神戸湊川神社から移築された神門(義芳門)。随神像はなく、裏側に大黒様と恵比須様が安置されている。 |
●手水舎。赤穂浪士四十七士が討ち入りを果たした12月14日(1703年1月30日)に赤穂義士祭が催行される。 |
●社殿。手前の石柱門に大石内蔵助の家紋「右二つ巴紋」が刻まれている。 ★ |
●拝殿前の狛犬。左右とも四角い口を開けて同じ姿をしている。 |
●田中角栄元首相揮毫の石碑(1977年寄贈)。田中氏は赤穂浪士四十七士の忠義に厚く敬意を払っていた。 |
●赤穂大石神社に隣接する大石内蔵助宅の長屋門。 ★ |
●大石宅の向かいにある近藤源八宅の長屋門(宅内側)。長屋部分は下級武士の住宅として使われていた。 ★ |
●長屋門内の8畳間の様子。 ★ |
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