丹波篠山よろず風景 篠山地区 徳川家康が築城させた篠山城の城下町として発展した。行政、文化、商業、観光の中心地。 |
乾新町 いぬいしんまち 地図 | |
魚屋町 うおやまち 地図 | |
小川町 おがわまち 地図 | |
河原町 かわらまち 地図 | |
北新町 きたしんまち 地図 | |
呉服町 ごふくまち 地図 | |
立町 たつまち 地図 | |
二階町 にかいまち 地図 | |
西新町 にししんまち 地図 | |
西町 にしまち 地図 | |
東新町 ひがししんまち 地図 | |
南新町 みなみしんまち 地図 | |
山内町 やまうちちょう 地図 |
丹波篠山市乾新町 | ▼ 丹波篠山市魚屋町 ▼ |
丹波篠山市乾新町/景色 地図 |
●乾新町交差点から南向きの眺め。乾新町は篠山城から見て乾(北西)の方角になる。正面は冨士屋旅館だったという建物。 |
丹波篠山市乾新町/當勝稲荷大明神 地図 |
●路地裏の角地にあり神社をぐるっと一周できる。瑞垣に寄進者名が刻まれている。 |
▲ 丹波篠山市乾新町 ▲ | 丹波篠山市魚屋町 | ▼ 丹波篠山市小川町 ▼ |
丹波篠山市魚屋町/景色 地図 |
●町内唯一の信号交差点から西向きの眺め。この通りは多紀郡で初めて昭和3年にアスファルト舗装された。 |
丹波篠山市魚屋町/立江地蔵尊 地図 |
●路地裏の奥まった場所にあるお地蔵さん。熱心な参拝者がおられる感じがする。 |
丹波篠山市魚屋町/清浄山誓願寺(浄土宗) 地図 |
●篠山城が築かれて八上城の山麓から現在地に移された。楼門が丹波篠山市指定文化財になっている。 |
●本堂。寺を創建した覚山天誉上人は室町幕府第13代将軍・足利義輝の子・足利義高。 |
●境内にある観音堂。資料によると誓願寺は多紀郡四国八十八ヶ所霊場第65番札所(本尊は十一面観音菩薩)になる。 |
●境内にある粟嶌社(淡嶋神社)。女人守護、安産の霊神として信仰されている。 |
●2018.07.13、淡嶋神社で33年に一度の御開帳が催行された。 |
●火産霊命を祀る境内の秋葉神社。 |
丹波篠山市魚屋町/知新館跡 地図 |
●明治時代、知新館という小学校が誓願寺で開校した。現在の篠山小学校の起源。 |
丹波篠山市魚屋町/小西紀一郎商店 地図 |
●「小西の黒豆パン」で有名なお店。創業明治26年。 |
▲ 丹波篠山市魚屋町 ▲ | 丹波篠山市小川町 | ▼ 丹波篠山市河原町 ▼ |
丹波篠山市小川町/景色 地図 |
●小川町から東に向かって河原町方面の眺め。前方は旧篠山町で一番最初に信号機が設置された交差点。 |
丹波篠山市小川町/本篠山バス停留所 地図 |
●本篠山駅バスターミナル跡地の横に当時のまま残っているバス停留所。年代物の看板も残っている。 |
●本篠山駅バスターミナル跡地。昔は道路を挟んで両側にバス車庫があり国鉄バスや神姫バスが並んでいた。 |
丹波篠山市小川町/愛宕さん 地図 |
●道路脇に平入り造の祠と五輪塔が祀られている。 |
▲ 丹波篠山市小川町 ▲ | 丹波篠山市河原町 | ▼ 丹波篠山市北新町 ▼ |
丹波篠山市河原町/景色 |
●丹波篠山市は「景観まちづくり刷新モデル地区」となり、河原町の妻入商家群通りが無電柱化された。 撮影地 |
●自転車のフレームにコンデジを固定して河原町妻入商家通りを西向きに走った動画。 |
●妻入商家群通りにて西向きの眺め。見通しが利かないようにわざと曲げられた道路が約600m続く。 撮影地 |
●往古は篠山川の河原だったが築城で町が造られた。一帯は国重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。 撮影地 |
●妻入商家通りの西端から東向きの眺め。右手前は江戸時代に醤油屋だった西坂家住宅(市指定文化財)。 撮影地 |
丹波篠山市河原町/王地山公園ささやま荘 地図 |
●1963年国民宿舎として開業、2002年ささやま荘にリニューアルしたが赤字経営が続き2019年8月閉館。 撮影地 |
丹波篠山市河原町/庚申堂 地図 |
●上河原町集会場横の公園に立っている。この場所は行法院という寺院跡とされている。 |
丹波篠山市河原町/丸ポスト 地図 |
●篠山河原郵便局の前に立っている。妻入り商家群の通りにある。 |
丹波篠山市河原町/渡辺弗措先生碑 地図 |
●王地山公園の伝下山展望台に立っている。篠山教育の先駆者とされ、篠山藩校や篠山中年学舎で教授を務めた人物。 |
●伝下山の山頂広場。戦時中はここに防空監視所が設けられ、高射砲2門が配備されていた。 |
●伝下山頂から高城山方面の眺め。眼下に河原町があって篠山川を挟んで八上一帯が見渡せる。 |
丹波篠山市河原町/普門山観音寺(曹洞宗) 地図 |
●河原町通りから参道の眺め。霊場標柱があり左は郡西国二十八番札所、右は国西国十六番札所と刻まれている。 |
●往古は知足村にあったが永禄5年(1562年)に八上城下曽地口村へ移され、更に篠山築城後現在地へ移築された。 |
●山門横の禁葷酒塔。このように基壇が二段になったものはあまり見かけない。 |
●左観音堂、右本堂。観音堂に安置されている木像十一面観音立像は平安時代の作で丹波篠山市指定文化財。 |
●廟堂。 |
●弁天社。 |
●毘沙門天堂。多紀郡四国八十八ヶ所霊場のパネルが掲出されている。 |
●奥に札所本尊の毘沙門天石仏、手前に木造の弘法大師座像が安置されている。 |
●袴腰に似た構造の鐘楼。境内の外から撞くようになっている。 |
丹波篠山市河原町/愛宕神社 地図 |
●観音寺山門の横にある神社。 |
●2023年12月、電柱が無くなり、鳥居が建て替えられていた。 |
●道標。「右 王地山 公園地道 普門山」。 |
丹波篠山市河原町/平尾竹霞生誕之地碑 地図 |
●平尾竹霞は江戸時代後期の南画家。川下りで有名な保津峡を描いた嵐峡12景等の作品がある。 |
丹波篠山市河原町/祠 地図 |
●家の隙間にピッタリ納まって、立派な石造りの祠がある。 |
丹波篠山市河原町/能楽資料館 地図 |
●能楽関連の面、装束、楽器等が展示されている。能楽美術コレクションは館の創立者が蒐集されたもの。 |
丹波篠山市河原町/丹波古陶館 地図 |
●丹波焼の創成期から江戸時代末期に至る700年間に作られた品々が展示されている。 |
丹波篠山市河原町/園篠線発祥之地碑 地図 |
●山陰本線園部駅と福知山線篠山口駅を結ぶバス路線発祥の場所。近くに本篠山駅バスターミナル跡地がある。 |
丹波篠山市河原町/開法山真福寺(浄土宗) 地図 |
●安土桃山時代、八上下村に東林庵として創建。篠山築城にともない現在地へ移築された。 |
●本堂。ご本尊は阿弥陀如来立像。光秀の丹波攻めで焼失する興聖寺から運び出された仏像の一つ。 |
●山門横にある観音堂。 |
●薬師堂。安置されている薬師如来像は乳薬師・耳薬師として信仰を集めている。 |
●弘法大師堂。多紀郡四国八十八ヶ所霊場第60番。 説明書き |
●弘法大師堂に掲出された御詠歌額。「縦横に 峰や山辺に 寺建てて あまねく人を 救うものかな」。 |
●弘法大師堂の横にある郷土史家・奥田楽々斎翁碑。代表作は「多紀郷土史考」(1958年刊行)。 |
丹波篠山市河原町/稲荷神社・広峯神社 地図 |
●王地山の南斜面にある神社。鳥居のおかげで所在に気付くことができる。 |
●参道の突き当たりに祠がある。左側は稲荷神社、右側は広峯神社。案内板に漢字がびっしり書いてある。 |
丹波篠山市河原町/交通安全地蔵尊 地図 |
●自動車が篠山川に飛び込む事故が続くので昭和31年建立された地蔵。横の大木はムクノキで樹高20m、幹周り4.3m。 |
●若葉が茂ったムクノキ。アオサギのコロニーになっていて葉に隠れて分かり難いが巣であふれている。 |
丹波篠山市河原町/灯籠 地図 |
●京口橋北詰に立っている。ベンチもありちょっとした休憩スポット。右手に進むと河原町妻入商家群の通りになる。 |
丹波篠山市河原町/妻入商家群 撮影地 |
●かつては篠山城下町の中で一番の繁華街だった。建物は江戸末期の様相が残り、この通りに約160戸ある。 |
●二重卯建の家。こちらは明治以降の建物と思われるが、間口に対して奥行きが何倍も長い。 |
●篠山重要伝統的保存建造物の小林家宅。妻入りの主屋に平入りの副屋が合体した美しい外観。犬矢来が調和している。 |
丹波篠山市河原町/妙長山本経寺(日蓮宗) 地図 |
●河原町商家通りから山門の眺め。伽藍は王地山の山麓にある。 |
●山号柱の基礎石に彫られた大小いくつもの盃状穴。当時は欲目ではなくて病気平癒とかの祈念だろうな。 |
●山門にある干支恵方盤。内側に東西南北、外側に十二支が記されている。中央の恵方矢印が見当たらない。 |
●本堂。江戸時代初期、第2代篠山城主・松平信吉公が常陸国土浦から移築した。 |
●本堂前にある力士キツネの彫刻。うしろ姿を見ると笑わずにおれない。※2017.12.30現在 平左衛門稲荷に移設 ★ |
丹波篠山市河原町/漣痕と貝の這い跡 地図 |
●本経寺裏に市指定天然記念物の化石がある。この場所が約1億年前白亜紀は湖の岸だったことを証するもの。 |
丹波篠山市河原町/王地山陶器所華工房 地図 |
●王地山焼は江戸時代後期から明治初期まで青磁などを焼いた藩窯だった。昭和63年再建された。 |
●登り窯。昔は12房式だったが3房式で再建された。右端から火口、窯3つ、煙突と並んでいる。 |
丹波篠山市河原町/王地山稲荷神社 地図 |
●江戸時代初期、第2代篠山城主・松平信吉公が常陸国土浦(現茨木県土浦市)から本経寺とともに移築した神社。 |
●大鳥居横に「天下太平、国家安全、往来安全」と刻まれた自然石の碑がある。祈願のスケールが大きい。 |
●手水舎。子供時分は王地山公園で遊び、喉が渇くとこの水を飲んでいた。 |
●奉納された鳥居が続く。案内図には鳥居トンネルと記されている。 |
●参道脇にある平吉稲荷。ご威徳は足腰の痛みの平癒。 |
●参道脇に立つ惣敷石。境内の敷石を寄贈した記念か。背面に「紀元二千五百三十七年明治十年」と刻まれている。 |
●参道脇にある妙見宮。左手にやや小さめの社で学力向上御威徳の常富天王が祀られている。 |
●230段の石段を登り切ると王地山の山頂部になり石鳥居と境内がある。 |
●荼枳尼天が祀られた本殿。左の建物はお守りが置いてある法茫堂。 |
●本殿右横に神輿堂があって、その前にある松尾芭蕉句碑。明治十五年建之。 |
●神輿堂の神輿。 |
●本殿と向き合って土俵の上に建つ平左衛門稲荷。負けきらい稲荷と呼ばれる勝利守護の神社。 |
●平左衛門稲荷の右隣にある摂社。須知山道観稲荷、頼尊又四郎稲荷、金山源吾稲荷、飛之山三四郎稲荷。 |
●本殿左横の摂社。小田中清五郎/曽地山左近/波賀野山源之丞/黒田山兵衛/高城山市松稲荷、金吉天王、荒金天王。 |
●本殿裏手の摂社。高安天王、白玉天王。 |
●本殿前にある日車天王。交通安全、身がわりの御守護。 |
丹波篠山市河原町/王地山 地図 |
●王地山稲荷神社参道の横にある「まけぎらい坂」を行くと王地山頂上へ通じている。 |
●負けきらい坂横の広場は梅渓と呼ばれるがアジサイが多い。 |
●坂を登ると広場になり西園寺公望筆による孤松台碑がある。立派な松の木があったことから孤松台と名付けられた。 |
●山頂にあるサイレン塔。8時・12時・15時・夕方に音楽が鳴る。昔は22時に「遠き山に・・・」が鳴っていた。 |
●天下将節発祥地と刻まれている。「みつ節」という古い盆踊り唄が明治時代にデカンショ節に生まれ変わった。 |
●サイレン塔の東側にある勿斎大石先生碑。明治時代の教育者・大石勿斎の功績を称えたもの。 |
●王地山は篠山城築城の候補地に挙げられていた。明治中頃に植樹して山頂一帯が公園化された。 |
●法貴発君碑。渡邊弗措に学んだ明治時代の政治家。 |
●王地山と東側の伝下山の間にある「楓渓・もみじ谷」。春は桜、秋は紅葉が美しい。 |
丹波篠山市河原町/旅空山宝塔寺(曹洞宗) 地図 |
●王地山公園の孤松台を下って遊歩道を少し進んだ所にある。 |
丹波篠山市河原町/王地山配水場跡 地図 |
●正面山頂部に配水場跡の石積みが見える。昭和2年からここに貯めた水を旧篠山町内へ上水道配水していた。 |
●配水場入口に「配水池」と刻まれている。西新町南端の篠山川右岸に水源地井戸を掘りポンプでここへ圧送していた。 |
▲ 丹波篠山市河原町 ▲ | 丹波篠山市北新町 | ▼ 丹波篠山市呉服町 ▼ |
丹波篠山市北新町/景色 地図 |
●北新町は篠山城北側に東西に長く広がる地区。丹波篠山市役所の北側から東向きの眺め。 |
●全国車いすマラソン大会が毎年9月最終日曜日に開催される。市役所横からスタートし1時間30分前後でゴール。 |
丹波篠山市北新町/建物 地図 |
●丹波篠山市役所の斜め向かいにある材木商店。切妻造りの南面に増築された洋風建物が目を引く。 |
丹波篠山市北新町/郷愁の松 地図 |
●鳳鳴高校跡地(現丹波篠山市役所)にある大きな松の木。当時を偲ぶものとして郷愁の松と呼ばれている。 |
丹波篠山市北新町/金光教篠山教会 地図 |
●金光教は黒住教、天理教と共に幕末三大新宗教と言われている。2014年は教祖生誕200年にあたる。 |
丹波篠山市北新町/高城屋敷門 地図 |
●八上城から移築された室町時代建造の高城屋敷門。茅葺から瓦葺に改装されている。 |
丹波篠山市北新町/元篠山藩地方役所門 地図 |
●篠山城大手門から真っ直ぐ北に進んで篠山郵便局の手前にある。明治初期に置かれた篠山藩庁舎の遺構。 |
●南へ約30m移設された。右は新設された日本遺産認定記念のデカンショモニュメントだが場所悪く移すらしい。 |
●門跡地。新たに伊能忠敬記念碑が立っているがキントン雲のような石は何だろう。 |
丹波篠山市北新町/篠山高等女学校跡 地図 |
●篠山城三の丸の女学校跡地に植えられた枝垂桜が咲いている。篠山の名木。 |
●明治時代、多紀郡立高等女学校として創建された。 |
丹波篠山市北新町/篠山城東外濠 地図 |
●篠山城東門跡から南向きの眺め。大正時代に植えられた桜並木が満開。濠の右側に篠山小学校がある。 |
●濠端の「大禮記念樹」の碑。大正天皇即位ご大典記念事業として当時の篠山青年会が桜を植樹した。 |
丹波篠山市北新町/篠山城北外濠 地図 |
●往古は黒岡川の深みで薬研淵と呼ばれていた。白い立派な建物はたんば田園交響ホール、市民会館、市役所等。 |
丹波篠山市北新町/義民清兵衛之碑 地図 |
●今田で生まれた義民・市原清兵衛の碑が立っている(左端)。右の2基は波部氏と園田氏の頌徳碑。 |
丹波篠山市北新町/森本荘三郎碑跡 地図 |
●森本氏は篠山で生まれた明治時代の実業家・政治家。碑銘板の付いた台石だけが残っている。 |
丹波篠山市北新町/山河のみたま碑 地図 |
●篠山築城や篠山藩政で苦しめられた庶民を偲んで建てられた石碑。 |
丹波篠山市北新町/篠山小学校 地図 |
●明治6年、誓願寺内に知新館という名で開校。現校舎は明治43年篠山城三の丸に建築された。 |
●歴史を感じる学校正門。門柱左側に篠山小学校、右側に篠山幼稚園のプレートが付いている。 |
●正門横に立っている校訓「培根達枝」の石碑。根本(初等教育)を培いその上に枝(高等教育)を発達せしめるべしとの教義。 |
●二宮金次郎像。白セメントで造られた手作り感のある像。 |
●昭和10年竣工の講堂。子供の頃は意味不明だったが皇紀2594年(昭和9年)がデザインされている。 |
丹波篠山市北新町/プラタナスの木 地図 |
●篠山小学校の運動場にある。平成2年、校木に指定された。樹齢推定140年、樹高10m、幹周り2.5m。 |
●子供時代は小学校正門前にも同サイズのプラタナスが数本あったが台風で倒れて今は無い。 |
●2018年8月の台風20号で根元から折れてしまった。復活させようと苗木が移植されている。 |
丹波篠山市北新町/大手門馬出跡 地図 |
●篠山城の北面にあった大手門馬出の土塁が一部残っている。周囲の大手門馬出濠は明治時代に埋めてしまった。 |
丹波篠山市北新町/デカンショ節百年記念像 地図 |
●市役所前庭に立っている。デカンショ節の歌詞は100番以上あるそうで市HPには27番まで収録されている。 |
丹波篠山市北新町/篠山城 地図 |
●篠山藩6万石の城。江戸時代初期、徳川家康の命で石6万個を使い築城された。別名、桐ヶ城。 |
●二の丸石垣の裾を幅広の犬走りで囲んだ造りになっている。手前の内堀は明治に埋め立てられたが近年復元された。 |
●大手門側から外堀(北濠)越しに石垣北面の眺め。二の丸に復元された大書院が見える。 |
●三の丸から石垣南面の眺め。石垣に沿った坂道の先に埋門がある。右端が天守台。手前は復元中の内堀。 |
●天守台の眺め。グラウンドだった地面を掘って内堀復元作業が進められている。当時の石積みが地中に残っている。 |
●上の写真から約5年経過し、内堀復元や周囲の環境整備が大きく進んだ。 |
●二の丸虎口から廊下門跡、櫓門跡の眺め。明治の城郭取払令により大書院以外の建物(門/櫓/倉/御殿)が破却された。 |
●櫓門のあった石垣。往時はこの下にも犬走りと内堀が配置されていた。 |
●櫓門を進むと中門、鉄門と続く。この先は二の丸となり大書院(復元)と御殿跡がある。 |
●二の丸から大手の方を見下ろした眺め。昔は櫓門跡の先端まで行って遊んでいた。(現在立入禁止) |
●大書院の前にある井戸。黒岡川の淵に石を積み上げて造られた。 |
●二の丸南端にある搦手の埋門(うずみもん)。非常時には埋めて遮断する。 |
●外から埋門の眺め。往時は左右の石垣間に渡櫓が架かり、外に隅櫓を設けて埋門を隠していた。 |
●二の丸南端にある掘り抜き井戸。昭和40年9月の台風(23号24号)で桧の巨木が4本倒れた。築城以来の老松も枯れた。 |
●本丸石垣に笹山の岩盤が露出している。火で炙りながら昼夜突貫工事で切り崩し作業をしたとの伝。 |
●二の丸にある篠山城岸和田城友好記念碑。松平周防守康重が初代篠山城主となり10年後には岸和田城へ移っている。 |
●本丸にある一の井戸。深さ16m(内水深8m)もあり、岩盤にぶつかって掘るのに2年かかったと記されている。 |
●本丸から天守台の眺め。大正5年、天守台中央に川村元帥揮毫の忠魂碑が建てられた。(平成10年城外移設) |
●天守台から東の眺望。城下町が広がり左手の小山は王地山、中央に高城山が見える。 解説板 |
●符号(約250種類)が刻まれた石がある。ごった返す築城現場で石や場所を間違えないための目印との説。 |
●三の丸広場で開催中の丹波篠山味まつり。朝10時でこの混雑は凄い。牛丸焼きの匂いが城の上まで漂っている。 |
●丹波篠山さくらまつりの日。三の丸広場に特設会場が設けられ屋台も並んでいる。 |
丹波篠山市北新町/篠山城大書院 地図 |
●二の丸にある篠山藩公式行事をした建物。昭和19年焼失、平成12年再建された。左の棟は史料館。 |
●大床のある次之間と上段之間。建物の広縁を回るというコースになっている。 |
●大書院南側の二の丸御殿跡。間取りや庭園が再現されている。 |
丹波篠山市北新町/青山神社 地図 |
●篠山城二の丸から鳥居を潜って本丸に青山神社がある。 |
●本丸の眺め。本丸の大部分が社寺有地になっている。 |
●毎年4月の青山神社例祭では参道や社殿が飾り付けされる。 |
●青山家10代・青山忠俊を祭神として明治15年創建。学問と教育の神様とされている。現社殿は大正5年建築。 |
●後に12代城主・青山忠裕(青山家18代)が合祀された。由緒からすると青山神社は宗廟の趣き。 |
●例祭の飾り付けがされている。 |
●2017年10月の台風21号の強風で大木が倒れ倉庫が倒壊した。2021年3月に神輿倉も合わせて建て替えられた。 |
●本殿の北隣に立っている倉庫と神輿倉(右)。 |
●神輿。本宮の日に御霊(鏡)を神輿に移し、春日神社まで渡御する。 |
●本殿向かいにある青山忠誠公追慕碑。公は13代城主・青山忠良公の十男で当地の子弟教育に貢献した人物。 |
●本殿横にある青山忠誠公頌徳碑。江戸時代末誕生、明治20年29歳で逝去。 |
●鳥居を潜ってすぐ右手にある御神木の切り株。願掛けの1円玉がビッシリと差し込まれている。 |
●鳥居横の紅梅。3月22日五分咲き。 |
●社殿前の紅梅。3月22日こちらは七分咲き。 |
丹波篠山市北新町/農校発祥之地碑 地図 |
●多紀実業高等公民学校の碑。元は大書院跡に立っていたものをここへ移設された。 裏面 |
●移設の経緯が記された標石。 |
丹波篠山市北新町/市民グラウンド跡 地図 |
●左に篠山城石垣とその奥に篠山小学校が見える。篠山城跡総合整備計画の一環で市民グラウンドがなくなった。 |
丹波篠山市北新町/篠山城南外濠 地図 |
●2013年12月。元は白鯰の坪という古池だった。昭和の頃は蓮で覆われていたが今は皆無でアカミミ亀犯人説が有力。 |
●2020年5月。濠にハスが復活しつつある。2013年から南濠ハス再生プロジェクトにて蓮根の移植が行われてきた。 |
●2023年10月。昭和に見た景色と同様に一面蓮で覆われた。7月~9月はピンクの花が咲いていた。★ |
●2024年8月。7月中旬から開花が始まり、盆の頃には満開になった。 |
篠山城蓮という品種で、園芸品種と比べて花弁が少なく、大ぶりの花を付けるのが特徴らしい。 ★解説板 |
濠に浮かべてあるアカミミガメ捕獲用の浮島型トラップ。甲羅干しに来た亀がポリ容器から出られなくなる。 |
丹波篠山市北新町/篠山中学校跡 地図 |
●昭和22年創立、昭和25年篠山城三の丸に校舎が建てられた。平成16年沢田に移転し現在は駐車場になっている。 |
丹波篠山市北新町/地蔵 地図 |
●道路左側の広場と土塁は篠山城南門馬出。 |
丹波篠山市北新町/篠山城南門馬出 地図 |
●篠山城裏門に出入りする人馬を外敵から隠すための土塁が築かれている。国内唯一、石垣を使ってない馬出。 |
丹波篠山市北新町/篠山城西外濠 地図 |
●篠山城には東西南北4つの外濠がある。その中で西外濠が最大。 |
丹波篠山市北新町/篠山城東馬出 地図 |
●東門堀(馬出堀)に囲まれた東馬出跡。昭和中頃まで白壁塀で囲まれ中に役所建物があった。 |
●子供時分はカイズカイブキの所から堀を跨いで馬出まで橋が架かっていた。 |
丹波篠山市北新町/青山歴史村 地図 |
●篠山藩主青山家の別邸が郷土史料館として公開されている。正面は北濠東角から移築された澤井家長屋門。 |
●長屋門を入った中庭に置いてある石造金櫃。藩政時代に千両箱を仕舞っていたそうで市指定文化財。 |
●無文銭の庭。藩主であった青山家の家紋が入った瓦。廃藩置県後に城郭建造物を解体した際の遺物だろうか。 |
●篠山城惜別の碑。立藩のことや藩主について篠山藩家臣の謹述がびっしり刻まれている。明治8年建之。 |
丹波篠山市北新町/大正ロマン館 地図 |
●大正時代建築の元篠山町役場。平成5年から観光拠点となり売店等が入っている。屋根の上に載っているのは火の見櫓。 |
●2020年05月、大手通り250m区間で無電柱化工事が行われた。 |
丹波篠山市北新町/たんば田園交響ホール 地図 |
●1988年に兵庫県の施設として建てられた音楽ホール。2011年、兵庫県から篠山市に移譲された。 |
●メインホールは800席あり、音響家が選ぶ優良ホール100選にも入っている。 |
▲ 丹波篠山市北新町 ▲ | 丹波篠山市呉服町 | ▼ 丹波篠山市立町 ▼ |
丹波篠山市呉服町/景色 地図 |
●黒岡川に架かる赤い欄干が華やかな門前橋から西向きの景色。昔は門前橋を中橋、呉服町を呉羽町と称していた。 |
丹波篠山市呉服町/建物 地図 |
●料理旅館「玉川楼」。店先で雰囲気の良い水車が回っている。 |
丹波篠山市呉服町/建物 地図 |
●南東角地に立つ、コーナーをカットした納まりの良い建物。どっしりした存在感があり子供の頃から馴染みがある。 |
●上記建物の向いにある風格の感じられる建物。資料によると木造二階建構造で昭和初期に建てられた。 |
丹波篠山市呉服町/旧篠山新聞社 地図 |
●大正時代、篠山新聞社に多紀郡初のラジオが設置され大阪放送局の仮放送を受信した。多分この建物かと。 |
丹波篠山市呉服町/鳳鳴酒造ほろ酔い城下蔵 地図 |
●江戸時代から続く酒蔵を利用して当時の酒造り道具や製造工程が展示されている。 |
丹波篠山市呉服町/篠山歴史美術館 地図 |
●明治時代に建てられた篠山地方裁判所を美術館に転用したもの。現存する木造の裁判所としては日本最古。 |
●美術品、工芸品、武具、王地山焼、埋蔵文化財等が展示されている。ここは時間をかけてじっくり観覧する価値あり。 |
●旧法廷は当時のまま保存されている。黒い油が浸み込んだ床を見ると昔の小学校を思い出す。 |
丹波篠山市呉服町/篠山町道路元標 地図 |
●丹波篠山市立歴史美術館南門の内側に立っている(灯籠の根元)。 |
●丹波篠山市内にある14基の内唯一の「町」道路元標。 |
丹波篠山市呉服町/篠山標柱 地図 |
●丹波篠山市立歴史美術館の南西角に木角柱の大きな里程標がある。初代は明治35年に建てられた。 |
●近隣各地標柱迄の距離が刻まれている。市外では尼崎、神戸、山崎の字が見える。 |
丹波篠山市呉服町/頼尊不動明王 地図 |
●黒岡川に架かる頼尊橋の袂にある。この辺りは来迎寺と尊宝寺の間になることから頼尊と呼ばれたらしい。 |
●お不動さん裏の黒岡川河原にネムノキが生えていて今が満開。 |
●刷毛のように細い花から砂糖を煮詰めたような濃い香りがする。夜は眠るように葉が閉じる。 |
●豆科の植物らしく花の後に豆果が生っていた。薄くヒラヒラしている。 |
丹波篠山市呉服町/桜 地図 |
●頼尊不動明王から黒岡川沿いに少し北へ入った所にある桜の老木。大きく張り出した枝ぶりに満開の花がみごと。 |
▲ 丹波篠山市呉服町 ▲ | 丹波篠山市立町 | ▼ 丹波篠山市二階町 ▼ |
丹波篠山市立町/景色 地図 |
●下立町公民館の近くから南向きに立町通りの眺め。篠山築城で南北方向の商家筋として町割りされた。 |
丹波篠山市立町/淡嶋神社 地図 |
●大戸の付いた山鉾倉の右側に淡嶋神社がある。 |
●Wikiによると総本社は和歌山市加太にあり、分社は日本国内に1,000社程あるらしい。丹波篠山市内には3社。 |
●角柱型の常夜灯が二基立っている。火袋部分が欠損している。 |
●前庭が整理されたようだ。鳥居が新調され常夜灯と御神木の株が無くなっている。 |
●四隅に盃状穴がある手水鉢。排水穴は近年に手が加えられたのだろう。 |
丹波篠山市立町/愛宕神社 地図 |
●県道丸山南新町線(立町通り)に面して立っている。文化の大火(江戸時代後期)を期に祀られたそうな。 |
丹波篠山市立町/小田垣商店 地図 |
●江戸時代中期創業という丹波黒大豆の商店。建物10軒が国の有形文化財に登録されている。 |
丹波篠山市立町/割場橋 地図 |
●梅の小路の西端にある一級河川黒岡川に架かる橋。昭和29年造築された初の鉄骨合成桁橋。 |
●上流側から割場橋の眺め。河川の樹木等(下段写真)で流下能力が低下していたので治水工事が実施された。 |
丹波篠山市立町/嶺松山尊宝寺(浄土真宗本願寺派) 地図 |
●江戸時代初期、篠山城の鬼門除けとして八上城下藤木村から現在地へ移建された。 |
●大屋根が立派な本堂。文化の大火(江戸時代後期)で焼失したが再建された。 |
●山門の梁にある飛騨甚五郎作とされる木彫の唐獅子。丹波篠山市指定文化財になっている。 |
●獅子の背中側。文化の大火の時に唐獅子が炎を吹き消して山門のみ残ったとの伝。 |
●境内にある太子堂。 |
●鐘楼。昭和60年に新築された。 |
丹波篠山市立町/縁結び地蔵尊 地図 |
●県道丸山南新町線開通(昭和25年)の際に旧城北村と旧篠山町の縁を繋いでおくために祀られた。 |
丹波篠山市立町/清凉山来迎寺(浄土宗) 地図 |
●八脚三戸の薬医門。江戸時代初期、篠山城の鬼門除けとして八上城下から現在地へ移建された。 |
●境内の手水鉢に沢山の盃状穴が見られる。誰かが何かの祈願で彫ったのだろうか諸説あり。 |
●大屋根がみごとな本堂。江戸時代の大火で二度焼失したが再建された。 |
●本堂向拝に組み込まれた海老虹梁。これ程の見事な反りようは見たことが無い。 |
●境内にある六角堂。延命地蔵尊が安置されている。 |
●境内にある天神社。昔の例祭日では沢山の書(習字)が掲げられ夜店も並ぶような賑わいだったらしい。 |
●薬医門の横にある鐘楼。撞木に自動装置が付いている。 |
●参道入口の石標。多紀郡四国八十八ヶ所霊場第61番札所を示すもので側面に「大正12年大師講」と刻まれている。 |
丹波篠山市立町/高砂神社 地図 |
●下立町山鉾倉と並んで祠が造られている。この山鉾は高砂山という名称。 |
●尉と姥(じょうとうば)が祀られている。縁結び、夫婦愛、長寿・・・目出度い象徴。 |
丹波篠山市立町/庚申堂 地図 |
●立町公民館前の広場にある。青面金剛明王が祀られている。 |
丹波篠山市立町/王地山弘法大師堂 地図 |
●王地山の北西登り道にある。この裏山は秋葉山と呼ばれる。 |
丹波篠山市立町/青木禎助君頌徳碑 地図 |
●王地山弘法大師堂近くの荒地にある青木禎助氏の頌徳碑。側面に「明治37年12月建之 発起人有志者」の銘。 |
●氏は菊正宗の杜氏として腕を上げ、後に多紀郡酒造稼業改良組合の初代組合長に就任、酒造改良に尽力された。 |
丹波篠山市立町/秋葉神社 地図 |
●王地山弘法大師堂奥の秋葉山にある。灯籠に秋葉大神と刻んである。左手にあった金刀比羅神社は朽ちている。 |
丹波篠山市立町/王地山窯跡 地図 |
●王地山秋葉神社境内の一角に立っている。「篠山藩主御庭焼 王地山窯跡」とある。 |
▲ 丹波篠山市立町 ▲ | 丹波篠山市二階町 | ▼ 丹波篠山市西新町 ▼ |
丹波篠山市二階町/景色 |
●二階町交差点付近から南向いて篠山城方向の眺め。 撮影地 |
●同場所から東方向の眺め。この辺りが観光客で特に賑わっている。 |
●同場所から西向きの眺め。観光客は篠山城周辺に駐車し、この交差点から東へ散策する動線が多いようだ。 |
●篠山城築城後、初代城主・松平康重による城下町建設が始まり、この通りは町屋街区として配置された。 撮影地 |
丹波篠山市二階町/建物 地図 |
●春日神社参道脇にある大正12年創業の栗菓子専門店。現在、ここは閉店し郊外に工場兼店舗がある。 |
丹波篠山市二階町/毘沙門天 地図 |
●春日神社の参道にある。後方に恵比須神社と春日神社の鳥居が見えている。 |
丹波篠山市二階町/恵比須神社 地図 |
●春日神社の参道にある。十日戎で賑わっている(宵えびす1月9日、本宮1月10日)。 |
●手水場。 |
●覆屋の中にこじんまりした社が安置されている。 |
●大小色々な吉兆の縁起物。1000円の恵比寿・大黒の熊手が売れ筋。 |
丹波篠山市二階町/篠山商工会館 地図 |
●篠山百景館というお土産処。昭和3年、篠山町初のスズラン灯が二階町通りに設置された。 |
丹波篠山市二階町/秋葉神社 地図 |
●こじんまりした庭があって神社が街中に溶け込んでいる。火伏せの秋葉大権現が祀られている。 |
●2022年7月、鳥居が建て替えられた。 |
●手水鉢。 |
●瑞垣に寄進者の商売と芳名が刻まれている。眺めていると昭和時代のエネルギッシュな情景が思い浮かぶ。 |
丹波篠山市二階町/誓文払いの景色 地図 |
●観光客でいつも賑わっている二階町商店街。今日は年末恒例の誓文払い大売り出しの日。 |
●屋台も出ている。昔は子供であふれていたが今は姿を見かけなくなった。 |
●これぞ誓文払いという景色。昔はこの時に冬物を買い揃えた。 |
▲ 丹波篠山市二階町 ▲ | 丹波篠山市西新町 | ▼ 丹波篠山市西町 ▼ |
丹波篠山市西新町/景色 地図 |
●篠山城の西側に南北に長く広がる地区。武家屋敷があり観光の定番コースになっている。 |
丹波篠山市西新町/祠 地図 |
●路地裏に祠がある。坐像が祀られている。 |
丹波篠山市西新町/旧黒岡川 地図 |
●篠山築城の際に黒岡川の流れを曲げて造られた川筋。昭和26年に改修され現在は濠の水が流れている。 |
丹波篠山市西新町/振徳堂跡地 地図 |
●江戸時代中期、第10代篠山城主・青山忠高公が創設した藩校・振徳堂があった場所。明治時代となり廃校になった。 |
丹波篠山市西新町/小林家長屋門 地図 |
●篠山城西濠沿いの道に面した所にある。江戸時代後期に建てられた武家屋敷長屋門(県指定文化財)。 |
丹波篠山市西新町/福寿山光乗寺(本門佛立宗) 地図 |
●南無妙法蓮華経とお題目の刻まれた山号柱が立っている。 |
丹波篠山市西新町/三社之宮跡 地図 |
●奥に三社之宮跡と刻まれた石柱が立っている。 |
丹波篠山市西新町/お徒士町通り・武家屋敷 地図 |
●篠山城西濠と並行にお徒士町通りがあり武家屋敷が十数棟残っている。敷地は間口8間、奥行25間ある。 |
●高12石3人扶持の禄高を得ていた安間家住宅。市指定文化財の史料館として内部を鑑賞できる。 |
●安間家住宅の土間から台所を見たところ。 |
●安間家住宅の奥から表に向って居間、仏間、座敷、東側庭園と続く。現代住宅と比べて天井高は同じ位で鴨居が低い。 |
●仏間の南側に設けられた水琴窟のある坪庭。水をかけて竹筒を耳に当てがうと遠くから高音の涼しい響きが届く。 |
丹波篠山市西新町/篠山念法寺(念法真教) 地図 |
●お徒士町通りにある。大正時代に立教開宗(念法真教)されたもので大阪市鶴見区に総本山金剛寺がある。 |
▲ 丹波篠山市西新町 ▲ | 丹波篠山市西町 | ▼ 丹波篠山市東新町 ▼ |
丹波篠山市西町/景色 地図 |
●西町主催で「昭和縁日」というイベントが夏に開催されたりブリキ玩具製作所があったりする。 |
丹波篠山市西町/ブリキ玩具製作所 地図 |
●ブリキで鉄人28号を作るプレス機が並んでいる。 |
丹波篠山市西町/ウェルカム碑 地図 |
●篠山口方面から旧篠山町市街に入ると正面にこの石碑がある。右は自称「名実共に東洋一」の西町商店街。 |
丹波篠山市西町/祠 地図 |
●路地裏にこじんまりした瑞垣に囲まれた祠がある。 |
丹波篠山市西町/宝乗山妙福寺(日蓮宗) 地図 |
●江戸時代初期、八上城下から現在地に移築された。 |
●本堂。室町期作の木像日蓮上人坐像は丹波篠山市指定文化財になっている。 |
●鐘楼。右奥の赤い建物は寂光堂という納骨堂。 |
丹波篠山市西町/大木 地図 |
●宝乗山妙福寺近くの民家庭から伸びている。幹の先から八方に広がる枝が見事。エノキかムクノキかと。 |
丹波篠山市西町/庚申堂愛宕大権現 地図 |
●鉾山倉の横から路地裏に入った所にある。奥へ進むと誓願寺のある大通りに出られる。 |
●最近改修されて屋根も壁も綺麗になっていた。 |
●お堂の中には青面金剛とその足元に三猿が祀られている。 |
▲ 丹波篠山市西町 ▲ | 丹波篠山市東新町 | ▼ 丹波篠山市南新町 ▼ |
丹波篠山市東新町/景色 地図 |
●篠山城の東側に南北に長く広がる地区。この先を行くと南濠に出る。 |
丹波篠山市東新町/本郷大将生家の跡 地図 |
●篠山城東馬出公園横の北西角地が生家跡。現在は保育園になっているが以前は本郷図書館だった。 |
●跡地に建てられた碑。本郷房太郎は大正7年に陸軍大将となった人物で抜群の記憶力とか多くの逸話が残っている。 |
丹波篠山市東新町/篠山軽便鉄道中央停車場・篠山町駅跡 地図 |
●篠山軽便鉄道(1913~1944)が国鉄篠山駅(現JR篠山口駅)から篠山町内まで開通。この辺りに起点の篠山町駅があった。 |
丹波篠山市東新町/祠 地図 |
●路地裏に北入りの鳥居と篠山城の方を向いた祠がある。 |
丹波篠山市東新町/景色 地図 |
●黒岡川に架かる川端橋の袂から北向きの眺め。右の白い建物は東新町公民館。 |
丹波篠山市東新町/川之端北向幼児地蔵尊 地図 |
●民家の裏道を入ったところに地蔵堂が立っている。細長い五輪塔に町内安全と刻まれている。 |
●幼児のよだれかけが沢山ぶら下げてある。近くに川端橋があり、川之端とは古い地名か。 |
丹波篠山市東新町/祠 地図 |
●路地裏に東向きの祠がある。左側のヤツデの木がすっきり仕立てられている。 |
丹波篠山市東新町/黒住教篠山教会所 地図 |
●黒住教は幕末三大新宗教の一つで江戸時代後期に黒住宗忠が開教した。立教二百年の幟旗が立っている。 |
●石造りの鳥居が建てられていた。扁額には宗忠神社と刻まれている。 |
丹波篠山市東新町/秋葉神社 地図 |
●「歴史の散歩道」の東端にある。 |
丹波篠山市東新町/歴史の散歩道 地図 |
●篠山築城の際に掘られた旧黒岡川を昭和26年埋め戻して遊歩道になった。 |
丹波篠山市東新町/頼尊又四郎稲荷神社 地図 |
●江戸時代の将軍上覧大相撲伝説に登場する力士の一人が頼尊又四郎。奥の広場は火事で焼失した楽天座の跡地。 |
●左側が頼尊又四郎稲荷神社でご利益は勝利守護・家内安全・商売繁盛・合格成就。右側は乙姫龍王神。荒れている。 |
●2024年7月23日。近隣住民の安全確保のためという理由で、祠前のヒマラヤスギが株元から伐採された。 |
切り株の年輪を確認したら樹齢約70年だった。案外若いので、子供時代にこの巨木を見た記憶がないはずだ。 |
丹波篠山市東新町/丹波杜氏酒造記念館 地図 |
●和風デザインの近代建築が美しい。館内で日本酒醸造の道具や資料が公開されていて、分かりやすく見応えがある。 |
●展示室に入ると麹の様な良い香りがする。明治後期には数千人の酒造出稼ぎ者がいたとの事。 |
●酒造りの工程順に使い込まれた道具が展示されている。冬早朝からの仕事なので手足が冷たかったとの事。 |
▲ 丹波篠山市東新町 ▲ | 丹波篠山市南新町 | ▼ 丹波篠山市山内町 ▼ |
丹波篠山市南新町/景色 地図 |
●県道77号篠山山南線沿いから西向きの眺め。通称「南バイパス」。 |
丹波篠山市南新町/桜づつみ回廊碑 地図 |
●篠山川堤防に立っている。「潤いと安らぎのある兵庫の創造を宣言する」とあるが上半分が欠けたようにも見える。 |
丹波篠山市南新町/橋の親柱 地図 |
●「昭和七年架」と刻まれた親柱。ここを流れていた旧黒岡川は昭和26年埋め立てられて歴史の散歩道になった。 |
丹波篠山市南新町/火の見櫓 地図 |
●屋根も半鐘もない。時々消防団の消火ホースが吊るしてある。※2017.11.25撤去されていた |
丹波篠山市南新町/監物橋 地図 |
●篠山川に架かる橋で初代は渋谷監物が架設。写真は平成12年竣工したもので親柱にデカンショ節の踊り子像が載る。 |
▲ 丹波篠山市南新町 ▲ | 丹波篠山市山内町 | ▼ page end ▼ |
丹波篠山市山内町/景色 |
●篠山城の北にあって、表通りから1ブロック離れた静かな町並み。 撮影地 |
●2021年7月24日午後5時15分ごろ、大規模火災が発生し町内の2200平方メートルが焼失した。 |
丹波篠山市山内町/大手坂標柱 地図 |
●篠山城跡の大手門馬出跡を真っ直ぐ北へ300mの所に大手坂の標柱が立っている。 |
●丹波笹山城之絵図にこの道路そのものがないので大手坂とは近年名付けられたものかと。 |
丹波篠山市山内町/丹波太神宮 地図 |
●丹波太神宮は一般神社を統轄するところ。 |
丹波篠山市山内町/青山稲荷神社 地図 |
●篠山藩主・青山公下屋敷の敷地内にあったので青山稲荷神社と呼ばれている。 |
●めずらしい瓦葺きの神社。青山家の無紋銭の紋瓦が載っている。 |
●鳥居前の広場に立派な土俵がある。 |
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