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高市郡明日香村 | ▼ 高市郡高取町 ▼ |
高市郡明日香村/明日香村の古代史跡色々 |
●キトラ古墳。円墳の横口式石槨(石棺式石室)内に天文図、四神像、獣頭人身像等が描かれていた。 地図 |
●高松塚古墳。二段築成の円墳。石室内から男女群像や星宿図の極彩色壁画が発見された。 地図 |
●鬼の雪隠(せっちん)。7世紀中頃に築造された長方墳の石槨の蓋石と見られている。 地図 |
●後方の竹やぶ内にペアとなる底石があり、蓋石がこの場所まで横転してきて天地逆になった模様。 |
●後方からは普通の岩にしか見えないが「立入禁止・宮内庁」の立札がある。 |
●鬼の俎(まないた)。竹やぶ内にある石槨の底石。鬼が旅人を捕まえてこの上で料理するとの伝。 地図 |
●蓋石がキッチリ嵌め合うように底石に段差が付けられている。ゴツンと嵌まる音が聞こえてくるような雰囲気。 |
●欽明天皇陵(梅山古墳)。571年に第29代欽明天皇を埋葬した全長約140mの前方後円墳。周濠あり。 地図 |
●吉備姫王檜隈墓。欽明天皇陵の向かいにある円墳で飛鳥時代の皇族・吉備姫王の墓とされる。 地図 |
●吉備姫王は欽明天皇の孫にあたり宮内庁の立札に「敏達天皇皇孫 茅渟王妃 吉備姫王」と記されている。 |
●柵内に猿石と呼ばれる石造物4体が置かれている。18世紀に近くの水田から掘り出したもので女性と山王権現(右)。 |
●こちらは僧(又は法師)と男性(右)。通説では渡来人を表した像とされるが何でこんなポーズなんだろう。 |
●亀石。H1.8m×L3.6m×W2.1m、重量10tもある花崗岩に生き物の顔らしきものが彫られている。 地図 |
●亀と言うより可愛いカエルに見える。案内板には川原寺(廃寺)の境界を示す標石説が紹介されている。 |
●亀石の背中側にも帯状に何やら加工されている。 |
●酒船石。丘陵の上にあるH1.0m×L5.5m×W2.3mの石。斉明天皇(女帝)の時代に造られたとされる。 地図 |
●平らな石の上面に円や楕円のくぼみと細い溝が彫られている。酒造りの道具説からこの名前になったらしい。 |
●小判形石造物・亀形石造物。こちらも斉明天皇の時代に造られたもので酒船石がある丘陵の麓にある。 地図 |
●左の木樋から出た水は小判形石造物に溜まり亀形石造物の甲羅を通って尻尾から出る。天皇祭祀で使われた。 |
●石舞台古墳。露出部は目測H4m×W4m×L10m程度。地中部を含め30数個の石が積まれ総重量2,300t。 地図 |
●7世紀初めに築造されたもので天井石の上面が平らなことから石舞台と呼ばれる。手前の天井石は64t、奥は77t。 |
●日本最大級の横穴式石室で羨道(W2.2m×L11.5m)の奥は広い玄室(H4.8m×W3.5m×L7.6m)になる。 |
●発掘調査で玄室に石棺はなかったので復元石棺が作られている。被葬者は蘇我馬子(551~626年)とみられる。 |
高市郡明日香村飛鳥/飛鳥座神社(あすかにいます神社) 地図 |
●社頭。鳥居の手前右側にある井戸は平安時代に詠まれた「飛鳥井」とみられている。 |
●手水舎。境内に色々な陰陽石が安置されておりこの水口石もその一つ。 |
●本殿。家内安全、商売繁盛、開運厄除、夫婦和合、身体健康、生育安全、念願成就の御神徳がある。 |
●神楽殿。毎年2月に夫婦和合を演じる奇祭・御田植祭(おんだまつり)が催される。 |
高市郡明日香村飛鳥/鳥形山飛鳥寺(真言宗豊山派) 地図 |
●飛鳥寺は蘇我馬子が建立を発願し6世紀末から7世紀初頭にかけて造営された日本最古の本格的仏教寺院。 |
●本殿。飛鳥大仏と呼ばれる日本最古の仏像・釈迦如来坐像は今でも飛鳥時代と同じ場所に安置されている。 |
●聖観世音菩薩を祀る思惟殿。往時の飛鳥寺は五重塔を中心に回廊で囲み三方に金堂を配置していた。 |
●本堂の向かいにある鐘楼と地蔵堂。蹴鞠の会で中大兄皇子と中臣鎌子が出会った場所でもある。 |
●往時の西門があった辺りから飛鳥寺の眺め。日本に仏教が広まる流れがこの寺から起こったと言える。 |
●飛鳥寺近くの蘇我入鹿首塚。大化改新において謀殺された蘇我入鹿(蘇我馬子の孫)を供養している。 地図 |
高市郡明日香村岡/東光山岡寺(龍蓋寺)(真言宗豊山派) 地図 |
●仁王門(重文)。大風で倒壊した三重塔の古材を転用して江戸初期再建された。扁額にある龍蓋寺が正式名称。 |
●手水舎。岡寺は開祖・義淵僧正により飛鳥時代に創建されたもので日本最初の厄除霊場として信仰を集めている。 |
●仁王門と同時期に建立されたとみられる楼門。この奥に非公開の古書院(重文)がある。 |
●本堂と開山堂(左)。江戸後期に上棟し完成まで30年要したとの事で特別大きい。西国霊場第7番札所。 |
●日本三大仏の一つであり日本最大最古でもある塑像・如意輪観音坐像(像高4.85m、重文)が安置されている。 |
●鐘楼堂。本堂と同時期(文化年間)に再建されたもので絶妙な和音の響きが素晴らしい。 |
●本堂前の龍蓋池。開祖・義淵僧正はこの池に悪龍を封じ込め大石で蓋をしたとの伝。 |
●瑠璃井。弘法大師ゆかりの厄除の涌き水と呼ばれている。 |
●瑠璃井の近くにある仏足石。 |
●境内の最奥部にある鎮守の稲荷明神社(如意稲荷社)。一帯がシャクナゲで覆われている。 |
●稲荷社の横にある奥之院石窟堂。弥勒の窟といわれ奥に弥勒菩薩座像が安置されている。 |
●三重塔近くから境内の眺め。平成29年10月に襲来した台風21号で周囲の山が部分崩壊した。 |
●三重塔。室町中期に大風で倒壊したが500年の時を経て1986(昭和61)年再建された。軒先の琴が不思議。 |
●大師堂、稚児大師像、修行大師像。本堂の如意輪観音坐像は弘法大師が日本/中国/インドの土で造られたとされる。 |
●岡寺隣地にある治田(はるた)神社。岡寺創建時の伽藍はこの神社境内にあったと推測されている。 |
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高市郡高取町壺阪/壺阪山南法華寺(壷阪寺)(真言宗豊山派) 地図 |
●山の中腹にある西国霊場第6番札所、通称壷阪寺。仁王門の金剛力士像は頭部が小さめに造られている。 |
●仁王門を通って左側にある多宝塔と灌頂堂。いずれも南法華寺開創1300年にあたって平成時代に建てられたもの。 |
●多宝塔の反対側にある高さ15mの壺阪大仏像。石彫事業の一環としてインドから招来したとの説明。 |
●石段を上がった広場に立つ三重塔(重文)。兵火を免れたことから火難除けの塔と呼ばれている。 |
●三重塔の向かいにある礼堂(重文)。大徳弁基上人によって飛鳥時代創建された。建物は室町時代再建。 |
●礼堂に接して立つ本堂八角円堂。御本尊の十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験あらたかと信仰されている。 |
●大観音石像へ続く道から境内の眺め。左下に壺阪大仏像、中央奥に三重塔。 |
●境内から県道を横切った所に釈迦如来涅槃像と大観音石像(高20m)が安置されている。こちらもインドから。 |
●壺阪奥の院と呼ばれる五百羅漢岩。高取城築城の際に守護として山肌の岩に仏像を彫ったらしい。 |
高市郡高取町高取/高取城跡 地図 |
●正面の高取山頂上(584m)に高取城跡がある。中世南北朝時代に築かれたもので日本三大山城の一つに数えられる。 |
●猿石。城下から登城する大手道の起点にあり、築城の際に結界石として置かれたと考えられている。 地図 |
●猿石の横にある二の門跡。ここで水堀を渡れば城内になり三の門、矢場門へと続く。本丸までは約800m。 |
●矢場門跡。この先松の門、宇陀門、千早門、大手門へと続く。二の門から大手門までは侍屋敷が並んでいた。 |
●三の丸から大手門(御城門)跡の眺め。三つの登城道(二の門、壺阪口門、吉野口門)はここで一つになる。 |
●大手門跡を通って十三間多門跡から二の丸下段広場の眺め。正面石垣の内側は二の丸上段、その奥は本丸。 |
●二の丸下段と上段の出入口にあたる十五間多門跡。この辺りの石垣は1974(昭和49)年に修復された。 |
●二の丸上段の藩主御殿跡。写真中央に十五間多門があった出入口、左の石垣は新御櫓台と太鼓御櫓台。 |
●二の丸上段の藩主御殿跡から高さ約8mある本丸石垣の眺め。樹齢数百年の大木があるのが不思議。 |
●本丸。東西75m、南北60mあり本丸大広間に御殿が造られていたとみられる。 |
●穴倉形式で造られた天守台。三重天守閣や小天守閣、各種櫓、土塀が明治時代に取り壊された。手前の穴は井戸。 |
●樹木があって天守台からほとんど眺望ないが山頂にふさわしく三等三角点(点名高取、標高583.6m)がある。 |
高市郡高取町観覚寺/子嶋山子嶋寺(高野山真言宗) 地図 |
●奈良時代以前の創建と伝えられる古刹。往時は高取城主の庇護を受けた大寺院だった。 |
●山門は高取城の大手入口にあった「二の門」を明治の払下げで移築したもの。山城らしい荒々しさがある。 |
●山門扉の肘坪を固定する柱部分に補修された跡があり工作好きとしては興味を引く。 |
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