京都府京都市の写真 京都市公式ホームページ:https://www.city.kyoto.lg.jp/ |
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京都市右京区嵯峨清滝深谷町/試峠こころみ峠 地図 Trail-20190522 |
●正面の清滝隧道は愛宕山鉄道(嵐山~愛宕山、1929年敷設)用だったが廃線後は道路トンネルになった。 |
●清滝トンネルの上に位置する試峠。峠の上を嵐山高雄パークウェイが通っている。 現地解説板 |
●峠近くに立つ往来安全地蔵。左端の角柱は動物之供養塔。 |
京都市右京区嵯峨愛宕町/愛宕山あたごやま 地図 Trail-20190522 |
●桂川に架かる渡月橋の上から北向いて愛宕山遠望。 |
●愛宕山頂上(924m)にある愛宕神社総本宮。この辺りは樹木の為眺望なし。 愛宕太郎坊天狗 |
●愛宕山から200m程北のピークにある三等三角点(点名愛宕、890m)。樹木越しに京都市街が見渡せる。 撮影地 |
京都市右京区嵯峨越畑/西ヶ谷ダムにしがたにダム 地図 Trail-20171008 |
●1996年竣工のアースダム。満水時は遠くの愛宕山が湖面に映って美しいらしい。 |
●シンプルな造りの天端部。奥の左岸側に洪水吐がある。 |
●堤体の下流側は何も無い。 |
京都市右京区嵯峨亀山町/六丁峠ろくちょう峠 地図 Trail-20171008 |
●登り口から距離六丁というのが名前の由来らしい。切り通しの上を嵐山・高尾パークウェイが通っている。 |
●反対から。京都府道50号京都日吉美山線が通る峠道でこの先の九十九折れを下ると保津峡沿いの道になる。 |
京都市右京区京北田貫町/白山神社はくさん神社 地図 Trail-20220801 |
●京都府道78号佐々江下中線に面して立つ。銅葺きの鳥居が目を引く。境内中央に舞殿。 |
●本殿は大きな覆屋に納まっている。廃仏毀釈によるものか明治に白山妙見大権現宮から白山神社に改称されている。 |
●中央に柱がある江戸初期建立の本殿。御祭神は菊理媛命など三柱が祀られている。横に境内社が6社並ぶ。 解説板 |
●本殿後方に白山神社古墳があり中央に御神木のツクバネガシがそびえている。 |
●二本の木が根元でくっ付いているように見える。右側の幹は途中で折れているが枝葉は茂っている。 解説板 |
京都市右京区京北下弓削町/狭間峠はざま峠 地図 Trail-20190613 |
●京都府道366号塔下弓削線が通る峠道。府道366号線の延長は短く3kmもない。 |
●東麓の京北塔町側に祠があり2体の往来安全地蔵が安置されている。 撮影地 |
京都市右京区京北井戸町山田/井戸峠いど峠 地図 Trail-20180721 |
●京都府道61号京都京北線が通る峠。写真は京北上弓削町側からの眺め、この先下ると京北井戸町に至る。 |
●基壇の上に地蔵尊と道しるべが安置されている。道しるべの背面に明治28年建立とある。 |
●峠ノ太郎氏によると「東寺山、西つつ江(筒江)、南山みち、北初川」と刻まれている。 |
●石の頂部四面に「東西南北」も刻まれているが90度ずれて置いてある。 |
京都市右京区京北周山町上代/恵日山慈眼寺じげんじ(曹洞宗) 地図 Trail-20170915 |
●丹波西国三十三観音霊場第24番。京都と若狭を結ぶ周山街道の押さえとして後方の山に周山城が築かれた。 |
●1967年、コンクリート造りで再建された本堂。ご本尊は聖観世音菩薩。明智光秀ゆかりの寺でもある。 |
●明智光秀創建の密厳寺から移築されたとされる釈迦堂。うすしまさん明王、明智光秀坐像・位牌が安置されている。 |
●境内から山門と鐘楼の眺め。鐘楼の柱が粗削りのまま使われている。 |
●鐘楼の内階段。近年に石積みされたようだが足を踏み外しそうな。 |
●境内と墓地の境にある奇岩と稲荷神社。鮎放流発祥地の碑が立っている。 |
●寺横の駐車場。北桑田郡48村が篠山藩領だった時代があり周山代官所が置かれていた。 撮影地 |
●寺向かいの奨学碑。大正時代、北桑田郡は独自の奨学金制度を創設し、上級学校への進学を奨励した。 撮影地 |
京都市右京区京北芹生町/芹生峠せりょう峠 地図 Trail-20190613 |
●京北芹生町と鞍馬貴船町を結ぶ峠。京都府道361号上黒田貴船線が通っている。 |
●手作り感のある看板が立っている。地図を見ると比叡山は切通し方向の11km先にある。 |
●峠から鞍馬貴船町側へ300m程の所にある大きな地蔵堂。新しいシキミが供えてある。 撮影地 |
●地蔵目線で峠道の眺め。この辺りは急勾配のヘヤピンカーブが多い。 |
京都市右京区京北細野町釣瓶税/栗尾峠くりお峠 地図 Trail-20170915 |
●旧国道162号・周山街道随一の難所とされた栗尾峠の頂上部分。現在は自転車歩行者専用道になっている。 |
●旧道(左)と新道(国道162号)の分岐点。京北トンネル(2,313m)が完成し2013年栗尾バイパスが開通した。 |
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京都市左京区大原百井町/百井峠ももい峠 地図 Trail-20190613 |
●大原百井町と鞍馬本町を結ぶ峠。ここが国道477号だと聞けば余計に狭く感じる。 |
●峠の石仏。風化して頭部が失われている。 |
●地蔵堂。この辺りは覆屋のある祠が多く、往時は旅人の避難小屋になっていたのだろう。 撮影地 |
京都市左京区久多中の町/大川神社おおかわ神社 地図 Trail-20220801 |
●久多川沿いに小さな鎮守の森があり境内から大杉がそびえ立っている。 散策マップ |
●鳥居を潜ると小じんまりした境内になり、覆屋内に小さな社が安置され大川大明神が祀られている。 |
●子供の湿疹にご利益がいただけるらしい。社殿横に京都府指定天然記念物の大杉がある。 大杉解説板 |
●大杉の樹齢は推定300年以上とみられる。根元から途中まで2本が合体しているが両方とも青々して樹勢が良い。 |
京都市左京区久多下の町/峰床山みねとこやま 地図 Trail-20190724 |
●峰床山の広々と開放的な山頂。オグロ坂峠から山頂まで快適な稜線道が付いている。 現地案内板 |
●山頂プレート。どれも風格があり「大原の里10名山」と記されたものもある。 |
●山頂の二等三角点(点名久多村二、970m)。 |
●南面の樹木が切り払われ眺望良好。 |
●峰床山の東900mにあるオグロ坂峠。北へオグロ坂を下ると久多集落に至る。険しいが最短の鯖街道だった。 撮影地 |
●オグロ坂峠の往来安全地蔵。鯖街道を行き来する人々を見守っていたのだろう。 |
●湿原ではあるが木が生えているので見渡せない。蛇行して流れる小川や水溜りがあるので所々に木道が設けてある。 |
●八丁平から南500mにあるフノ坂峠。ここも鯖街道になりオグロ坂峠~八丁平~フノ坂峠のルートだった。 撮影地 |
●フノ坂峠に立つ年代物の案内板。ここから峰床山へダイレクトに登る山道もある。 |
●床峰山から稜線を南へ1km歩いた所にある俵坂峠。四ツ辻になっている。 撮影地 |
●俵坂峠に立つ案内板。情報がタップリ盛り込んである。 |
京都市左京区久多川合町/今坂峠いまさか峠 地図 Trail-20220801 |
●京都府道110号久多広河原線が通る深い切通しの峠。久多下の町と久多川合町の境界になる。 |
●久多下の町側にある石碑。左は六字名号碑、右は餅田彦兵衛碑と刻まれた道路改修の顕彰碑(大正11年建之)。 |
●峠プレート。往時の道は久多川右岸を通る難所だったようで、餅田村長が先頭に立って現道開削されたようだ。 |
京都市左京区花脊原地町/花脊の三本杉 地図 Trail-20210504 |
●三本杉は峰定寺(ぶじょうじ)の御神木とされる。 撮影地 |
●寺谷川を挟んで峰定寺仁王門の眺め。本堂は後方の大悲山中腹にある。 撮影地 |
●三本杉全貌。峰定寺から林道を1.5km程歩いた山中にある。樹高は62.3mあり日本一。 花脊の三本杉 |
●三本の杉が基部で合着している。「谷底にあるため台風や落雷の影響を受けることなく・・・」という説明。 |
●谷川手前から立入禁止で近寄れないので迫力を感じにくい。石段の横に白鷹龍王と刻まれた石碑がある。 樹高比べ |
京都市左京区花脊八桝町/知世路谷山ちしょろたにやま 地図 Trail-20210504 |
●京都府道38号線に立って知世路谷山遠望。 撮影地 |
●山頂。案内図によると「天神の森、見晴らし最高」となっているが現在は樹木のため眺望なし。 |
●三等三角点(点名知世路谷、716m)。山頂プレートに八桝山とも書いてあった。 |
●点名に山を付けた知世路谷山は誤りで、ちしょろ山が正解だと思えてきた。近くにチセロ山がありややこしい。 |
●知世路谷山から東へ2.5km程の所にあるチセロ山(871m)。「こもれびの森」と呼ばれ整備されている。 撮影地 |
●チセロ山も樹木多目だが樹間から眺望良し。東方向、皆子山か。 |
●チセロ山から南方向。山頂部の伐採作業が進行中なので今後に期待。 |
京都市左京区花脊別所町/滝谷山たきたにやま 地図 Trail-20190724 |
●滝谷山頂上。樹木の為眺望なし。 |
●山頂の二等三角点(点名別所村、876m)。 |
京都市左京区花脊別所町/旧花脊峠旧はなせ峠 地図 Trail-20190613 |
●三叉路になっていて下は旧道で峠下(府道38号線)へ、上は芹生町(府道361号線)へ、右は旧道別れ(国道477号)へ。 |
●峠の往来安全地蔵。樹齢数百年とおぼしき老巨杉を背負っている。 |
●旧道別れ。国道477号は左へカーブして花脊峠に至る。右の坂道は旧道で500m程行くと旧花脊峠に出る。 撮影地 |
●峠の東にある天狗杉山(別名、花脊山)の頂上。ここからは眺望ないが山頂直下に好眺望地がある模様。 撮影地 |
●山頂プレート。人気のある山らしく他にも数枚あった。 |
●三等三角点(点名三輪谷、837m)。花脊峠から取付いて天狗杉山を経由し鞍馬山へ向かう定番ルートがあるようだ。 |
京都市左京区花脊別所町/花脊峠はなせ峠 地図 Trail-20190613 |
●花脊別所町と鞍馬本町を結ぶ国道477号の峠。花脊峠バス停がありメロディを鳴らしてバスが来る。 現地案内板 |
●北へ向かう脇道口にある標識。いくつかある鯖街道の中でも最短の針畑越えルートになる。 略ルート図 |
●鯖街道を行くと杉峠がある。ここから琵琶湖大橋が遠望できる。 撮影地 |
●杉峠の往来安全地蔵。 |
●杉峠から更に北へ行くと和佐谷峠がある。 撮影地 |
●鯖街道の峠ではなく花脊別所町と大原百井町を結ぶもので地理院地図に徒歩道記号が記載されている。 |
●峠道の花脊別所町側に往来安全地蔵が安置されている。 撮影地 |
京都市左京区広河原能見町/能見峠のうみ峠 地図 Trail-20180721 |
●京都府道110号久多広河原線が通る峠。豪雪地帯の為冬季通行止めになる。 |
●趣きのある看板が立っている。久多峠とも呼ばれ東へ下ると京都のチベットと称される久多宮の町になる。 |
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京都市中京区六角通堂之前町/紫雲山頂法寺(六角堂)ちょうほうじ(天台宗) 地図 Trail-20180919 |
●通称六角堂。六角通に面してビルの谷間にある。 |
●山門。飛鳥時代前(用明天皇2・587年)、如意輪観音を御本尊に聖徳太子が創建した。 |
●手水舎。柱が垂直に立ち、貫が無いのでいつもの雰囲気とは違う。 |
●西国霊場第18番札所。「いけばな」は仏前に花を供える作法が発展したもので頂法寺が華道発祥の地とされる。 |
●本堂の正面にあたる拝堂。大提灯や紋幕に転法輪が描かれている。 |
●拝堂の奥に二重屋根の六角堂が繋がっている。現建物は1877(明治10)年に再建されたもの。 |
●聖徳太子が水浴したと伝わる場所に人工池が造られている。池の上に聖徳太子を祀る六角形の太子堂(開山堂)がある。 |
●六角形の親鸞堂。親鸞は六角堂に参籠を始めて95日めの夜明けに夢告があり浄土真宗を開くきっかけを得た。 |
●親鸞堂の後方階段上にある六角堂鎮守・唐崎社と日彰稲荷。唐崎社には祇園社と天満宮も合祀されている。 |
●不動明王堂。左は木の立像、右は石の坐像が安置されている。 |
●境内にある六角形の「へそ石」。旧本堂の礎石と見られ、都の中心にあるのでこの名が付いたとのお説。 |
●鐘楼。山門の外側、六角通りを隔てた所(飛地境内)にある。タイマーで全自動鐘つき機が働いているらしい。 |
京都市中京区行願寺門前町/霊ゆう山行願寺(革堂)ぎょうがんじ(天台宗) 地図 Trail-20180919 |
●通称革堂(こうどう)。一条小川で創建しここへ移築した経緯があるため標柱が「一条かうだう」になっている。 |
●江戸後期(1815年)再建された本堂。開基・行円上人は鹿皮をまとっていたので皮聖と称され寺も革堂と呼ばれた。 |
●沢山の奉納額と大提灯が吊り下げられた本堂外陣。ご本尊は千手観世音菩薩。西国霊場第19番札所。 |
●延命地蔵と天道大日如来が祀られている。隣の民家との間は防火のためか高い塀で区切られている。 |
●手水舎。ハス鉢から溢れた水を樋で受けて水盤へ流し込むという風流なものになっている。 |
●愛染明王像が奉安されている愛染堂。本堂と同時期に建てられたが白壁が独特の雰囲気を漂わす。 |
●都七福神巡りの一つになっている寿老人神堂。格子の間から頭が伸びた寿老人像を拝見できる。 |
●奉納された七福神像。寿老人は牡鹿を従えており、鹿皮をまとっていた行円上人と妙に繋がる。 |
●庫裏。こちらも本堂と同時期に建てられたもので越屋根がアクセントになった立派な造りになっている。 |
●境内北のドン付きにある鐘楼と鎮宅霊符神堂。家内安全守護のご利益が頂ける。 |
●鐘楼横の小社や加茂大明神五輪塔。石仏を集めた覆屋に「百体地蔵尊 梵鐘再鋳落慶記念」の板額が架かっている。 |
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京都市西京区大原野石作町/逢坂峠おうさか峠 地図 Trail-20181026 |
●大阪/京都府道733号柚原向日線が通る峠道。向日市へ至る下りは狭小の急勾配で急カーブが連続する。 |
●峠近くの三差路。西国観音霊場の穴太寺と善峯寺を繋ぐ道は穴太善峯巡礼古道と呼ばれる。 撮影地 |
●峠横の金蔵寺無縁塚。無縁になった墓石、石仏、五輪塔がここに集められ供養されている。 撮影地 |
京都市西京区大原野小塩町/西山善峯寺よしみねでら(天台宗) 地図 Trail-20181026 |
●参道入口。善峯寺は釈迦岳支峰の善峯山腹にあるため坂が多い。創建時に野猪が地ならしをしてくれたとの伝。 |
●江戸中期に再建された楼門。扁額の書は後鳥羽天皇(1180年~1239年)の宸筆を謹写したもの。 |
●源頼朝が寄進した運慶作の金剛力士像。ガラス戸で保護されている。 |
●手水舎。竹の先から水が流れ落ちる風流な造りになっている。 |
●本堂(観音堂)。源算上人によって平安中期(長元2年・1029年)に開山された。 |
●あっさりした感じの本堂外陣。御本尊は千手千眼観世音菩薩。西国観音霊場第20番札所。 |
●鐘楼堂。徳川5代将軍綱吉公42歳厄除けのため生母桂昌院が寄進したもので「厄除けの鐘」と呼ばれる。 |
●愛染明王が祀られた多宝塔(重文)、右奥に護摩堂。 |
●多宝塔前にある「遊龍の松」(五葉松)。樹齢600年以上あり低い幹から枝が2本伸びていて長さは計37mもある。 |
●六角形の経堂。手前のしだれ桜は樹齢300年以上あり桂昌院お手植えとの伝。 |
●経堂中央に傅大士(ぶだいし)に守られた鉄眼版一切経の六角経蔵がある。経函は16段4列6面で合計384函。 |
●開山堂。善峯寺と隣にある三鈷寺を開創した源算上人が祀られている。 |
●鎮守社。十三仏等四社が祀られている。鎮守社含め多くの堂塔伽藍が兵火で焼失したが桂昌院により再建された。 |
●釈迦堂。明治時代に釈迦岳から遷座された源算上人作の釈迦如来が奉安されている。神経痛腰痛にご利益。 |
●釈迦堂前から京都市街の眺望。右下の屋根は「けいしょう殿」のもので景勝と桂昌院をかけてある。 |
●奥之院の薬師堂。桂昌院誕生のご利益から出世薬師如来と呼ばれている。手前は桂昌院筆の献歌碑。 |
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京都市東山区清水/音羽山清水寺きよみずでら(北法相宗) 地図 Trail-20180919 |
●世界遺産・清水寺の仁王門。ライオンのように大きな狛犬が阿形吽形とも口を開けて向き合っている。 |
●6本柱の鐘楼。事前に整理券を入手できれば大晦日に除夜の鐘を撞くことができる。 |
●西門(さいもん)。勅使門であり扉が無いので柵で囲んで通れないようになっている。 |
●門前から良く見える三重塔。中央は経堂で夜になると鏡天井の円龍が音羽の滝へ水を飲みに抜け出すとの伝。 |
●田村堂(開山堂)。清水寺を建立した平安時代の公卿・坂上田村麻呂の名が付いている。清水寺開基は延鎮上人。 |
●朝倉堂。越前国大名・朝倉貞景による清水寺への多額の寄進により建てられた。 |
●轟橋と轟門(中門)。これより先は拝観料が必要。 |
●轟門の手前にある梟の手水鉢と呼ばれる手水場。脇にある2本柱の覆屋は手拭きを下げていたものらしい。 |
●轟門と本堂(国宝)を結ぶ渡り廊下。 |
●にこにこ顔の出世大黒天が迎えてくれる本堂外陣(礼堂)。ご本尊は十一面千手観世音菩薩。西国霊場第16番札所。 |
●本堂舞台から眺めた奥之院。清水寺の檜皮葺屋根は大棟に瓦を載せたハイブリッド屋根になっているようだ。 |
●本堂舞台から下に見える音羽の滝。この清水が寺名の由来となったもので3筋の滝それぞれご利益が違う。 |
●奥之院から本堂(檜皮屋根葺き替え工事中)の眺め。中央に白い京都タワーが見えている。 |
●子安塔。本堂から見ると音羽の滝を挟んだ向かいの尾根筋に立っている。近年改修されたので朱が鮮やか。 |
●大西良慶和上の御霊屋・中興堂(平成9年建立)。明治政府の寺領召し上げで清水寺は衰退したが良慶和上により復興。 |
●鎮守堂春日社。後方は千体地蔵群と呼ばれるもので明治の廃仏毀釈の際に市中から持ち込まれた。 |
●北総門。この奥にある成就院(清水寺本坊)の正門だが本堂から見て北にあるのでこの名称になったのだろう。 |
●北総門の横にある弁天堂。弁天池に囲まれて弁財天が祀られている。 |
京都市東山区松原通大和大路/補陀洛山六波羅蜜寺ろくはらみつじ(真言宗智山派) 地図 Trail-20180919 |
●門柱にミニチュア多宝塔が載った正門と奥に本堂。普段は鉄門が閉じられている。 |
●通常出入りする南門。元は大寺院だったが明治政府の領地召し上げにより小規模になった。 |
●コンパクトな手水場だが境内が狭いのでこれくらいで丁度良い。 |
●ご本尊・十一面観音菩薩像は258cmもありこのレプリカも背が高い。横の一願石を三回転させてからお参りする。 |
●室町時代初期(貞治2・1363年)に再建された本堂。応仁の乱の戦火をくぐり抜けて残った貴重な建物。 |
●平安時代中期(天暦5・951年)、空也上人が西光寺を開創し後に六波羅蜜寺になった。西国霊場第17番札所。 |
●鎌倉時代建立の平清盛公乃塚(左)と阿古屋塚。六波羅が平家一門の本拠地だったことからここに供養塔が造られた。 |
●道元禅師は六波羅蜜寺近くの波多野義重邸で正法眼蔵と古仏心を説法した。後に越前へ移り永平寺を開山。 |
●境内の発掘調査で発見された鎌倉時代の石仏群。左の大きな石物は胴体が切り取られている。奥は六波羅浄心苑。 |
●出入口正面にある弁財天堂。都七福神の一つ、弁財天像が奉安されている。照明の反射もあって金色に輝いている。 |
京都市東山区泉涌寺山内町/新那智山観音寺(今熊野)かんのんじ(真言宗泉涌寺派) 地図 Trail-20180906 |
●通称今熊野。泉涌寺境内にある観音寺参道入口。左の石柱に「いまくまの 現世安穏後生善所」と刻まれている。 |
●鳥居橋から杉並木へと参道が続く。今熊野観音寺は平安初期(弘仁年間・825年頃)に弘法大師が創建した。 |
●手水場。覆屋がなく庭石の如く庭園の景色に溶け込んでいる。 |
●子まもり大師の像。周囲に四国八十八所のお砂が敷かれている。 |
●迫力がある二重屋根の本堂。応仁の兵火で焼失したが江戸中期に再建された。 |
●西国霊場第15番札所。ご本尊は弘法大師作とされる十一面観世音菩薩。「頭の観音さん」として信仰されている。 |
●弘法大師の霊水・五智水の井。弘法大師が錫杖で岩を突いたところ湧き出してきた清水との伝。 |
●ぼけ封じ観音。老人・老女の姿をしたお身代わりの石仏が並んでいる。 |
●大師堂。弘法大師が祀られている。 |
●鎮守社の稲荷社(左)と熊野権現社(右)。弘法大師は老翁の姿をした熊野権現から十一面観世音菩薩を授かった。 |
●鐘楼。基壇に昭和3年落成と刻まれている。この横から多宝塔へ通じる参道が付いている。 |
●今熊野西国霊場。多宝塔への参道に西国霊場の各御本尊が奉安されている。 |
●昭和59年(1984年)建立の多宝塔(医聖堂)。日本医学の発展に貢献した人々が祀られている。手前は医心方記念碑。 |
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京都市伏見区葭島金井戸町/三栖閘門みすこうもん 地図 Trail-20180906 |
●1929(昭和4)年に造られた水門施設。「伏見のパナマ運河」と呼ばれ土木学会選奨土木遺産に認定されている。 |
●大正時代の伏見防水工事(洪水対策で堤防を築いた)の結果、宇治川に対して伏見港(濠川)側の水位が4.5m高くなった。 |
●伏見港から出る場合、船を閘室へ入れて前扉室を閉じ水位を宇治川に合わせてから後扉室水門を開いて船を出す。 |
●宇治川側の後扉室水門の引上扉。三栖閘門はパナマ運河の図面を参考に造られたらしい。 |
●宇治川側からの眺め。昭和30年代から舟運需要が低下し昭和43年に伏見港は埋め立てられ三栖閘門は役目を終えた。 |
●旧操作室を復元した三栖閘門資料館。一帯は公園になり三栖閘門は観光船の発着場として利用されている。 |
京都市伏見区醍醐伽藍町/醍醐山醍醐寺(下醍醐)だいごじ(真言宗醍醐派総本山) 地図 Trail-20180423 |
●旧奈良街道に面して立つ総門。醍醐寺は山頂にある上醍醐(874年開創)と麓にある下醍醐(926年創建)からなる。 |
●総門を入り三宝院、霊宝館を過ぎると西大門(仁王門)がある。金堂移築に引き続いて西大門が再建された。 |
●金剛力士像(重文)。平安後期の作で南大門から西大門へ移設された。大きな頭に緩い表情は親しみがもてる。 |
●醍醐の森と呼ばれる境内。醍醐寺は「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産に登録されている。 |
●金堂(国宝)。平安初期に創建したが焼失、安土桃山時代に紀州湯浅の満願寺から移築された。本尊は薬師如来坐像。 |
●金堂前広場にある簡素な感じがする鐘楼。境内奥にある観音堂の前には豪華な鐘楼堂がある。 |
●清瀧宮拝殿。上醍醐にある鎮守・清瀧権現から分霊し下醍醐の鎮守として祀られている。 |
●極彩色で飾られた清瀧宮本殿(重文)。平安時代創建、室町時代再建。 |
●五重塔(国宝)。平安初期創建されたもので当時のまま現在に残る。京都府下で最も古い木造建築物。 |
●不動堂、護摩道場。五大明王が祀られている。 |
●真如三昧耶堂。平安初期に創建された法華三昧堂が焼失し、その跡地を利用して1997(平成9)年に建てられた。 |
●祖師堂。真言宗を開いた弘法大師空海とその孫弟子で醍醐寺開創の理源大師聖宝が祀られている。江戸初期建立。 |
●日月門。この門から奥の建物群は大伝法院と呼ばれ実業家・山口玄洞氏の寄進により1930(昭和5)年に建てられた。 |
●観音堂(旧大講堂)。上醍醐・准胝堂が焼失したため仮の西国霊場第11番札所として使われている。 |
●鐘楼堂。 |
●方丈池と弁天堂。 |
京都市伏見区醍醐醍醐山/深雪山上醍醐寺かみだいごじ(真言宗醍醐派総本山) 地図 Trail-20180423 |
●醍醐山の頂上近くにある西国第11番霊場への登山口。木に隠れて大きな石鳥居が立ちその先に女人堂がある。 |
●成身院女人堂。上醍醐・准胝観音の分霊が祀られている。かつては結界でここから先は女人禁制だった。 |
●西国霊場一険しい札所と言われる上醍醐参道。ここから山上の開山堂まで2.6km、20丁、60分の登山となる。 |
●上醍醐寺務所。門の前に十九丁の石標がある。寺務所の外側を塀沿いに奥へ進むと上醍醐の正面に出る。 |
●平安初期、空海の孫弟子である理源大師聖宝が開創。醍醐天皇の庇護を受け下醍醐の方が発展した。 |
●清瀧宮拝殿(国宝)。後方にある清瀧宮本殿の拝殿で平安中期創建、室町初期再建された。 |
●清瀧宮本殿。空海が長安の青龍寺から勧請した清瀧権現が祀られた上醍醐の鎮守社。 |
●醍醐水の石標が立つ堂宇。聖宝の前に現れた地主神が「あ 醍醐味なる哉」の言葉を残したとされる醍醐寺発祥の地。 |
●西国霊場第11番札所の准胝堂跡(准胝観世音菩薩、平安中期創建)。1939年焼失、1968年再建、2008年焼失。 |
●薬師堂(国宝)。醍醐天皇の御願堂として平安初期創建。現建物は平安後期再建されたもの。 |
●五大堂の手前に下醍醐のものと似た感じの鐘楼がある。左のプレハブは仁王会参籠所。 |
●五大堂。聖宝が開いた鎮護国家の祈願根本道場で五大明王が祀られている。平安初期創建、1940(昭和15)年再建。 |
●如意輪堂(重文)。聖宝により准胝堂とともに創建された。現建物は江戸初期に再建されたもの。 |
●如意輪堂の隣にある縁結白山大権現。聖宝が山上鎮守として勧請した。 |
●開山堂(重文)。平安初期創建、如意輪堂とともに再建された。開山理源大師聖宝坐像などが安置されている。 |
●宋版一切経の経蔵跡。1939(昭和14)年の山火事で経蔵、清瀧宮本殿、准胝堂が焼失し礎石のみ残る。 |
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京都市山科区北花山河原町/華頂山元慶寺がんけいじ(天台宗) 地図 Trail-20180906 |
●渋谷街道に立つ目印の看板。細道の突き当りに鐘楼門がある。 |
●鐘楼門は江戸後期(1792寛政4年)に再建されたもの。竜宮造りなので異国の雰囲気がする。 |
●平安前期作の帝釈天と梵天像は京都国立博物館に寄託中のため代りに写真が置いてある。手前は禁葷酒塔。 |
●庭園から本堂の眺め。平安時代初期(貞観10年)、遍昭僧正が創建した。西国霊場の番外札所になっている。 |
●1789(寛政元年)再建された本堂(薬師堂)。ご本尊は薬師瑠璃光如来。扉に勅願所の証として菊花紋が付いている。 |
●花山院法皇御落飾道場の石塔。花山天皇19歳の時にここで出家し花山法皇(西国霊場中興の祖)と称した。 |
●元慶寺再興碑。寺は応仁の乱以降衰退していたが江戸後期(1783天明3年)になって妙厳和尚により再興された。 |
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