福井県敦賀市の写真 敦賀市公式ホームページ:https://www.city.tsuruga.lg.jp/index.html |
敦賀市曙町 | ▼ 敦賀市阿曽 ▼ |
敦賀市曙町/気比神宮けひじんぐう 地図 Trail-20210805 |
●国道8号に面した社頭からの眺め。北陸道総鎮守と称される。神社は杉のイメージだがここは松の木が多い。 解説板 |
●江戸初期造営の大鳥居。日本三大鳥居の一つに数えられ、国重要文化財に指定されている。 |
●豪奢な造りの手水舎。中央の石に沢山付けられた細い金属管から水が流れ出るという水口になっている。 |
●中鳥居。3年前の台風21号で壊れ修繕されたが、訪問時も塗装工事中であった。 |
●神殿。戦火により焼失したが後に再建・修復された。鈴緒や本坪鈴は付いていない。 |
●日本三大松原の一つに数えられる気比松原。古来より気比神宮の神苑だったが現在は国有林になっている。 撮影地 |
●白砂に青松が映える。例年であれば気比の松原海水浴場として賑わう。 |
敦賀市阿曽/鉢伏山 地図 Trail-20210805 |
●気比の松原から鉢を伏せたような鉢伏山遠望。福井県を嶺南と嶺北に分ける木ノ芽山嶺の最高峰になる。 撮影地 |
●平坦で広々した山頂。この一帯に木ノ芽城塞群があり、ここは鉢伏城だった。 イラスト |
●山頂から西方向の眺望良好。敦賀湾が見渡せ、左端に気比の松原も見える。 |
●山頂のコンパス標識。いくつかはネジが緩んで方向がずれてしまっているようだ。 |
●山頂の二等三角点(点名鉢伏山、762m)。平坦地の端にあって見つけにくい。 |
●山の東側は今庄365スキー場になっている。鉢伏山周辺で風力発電所建設計画が進んでいるらしい。 |
●スキー場のゲレンデを横切るように石畳の木ノ芽古道が通っている。 撮影地 |
敦賀市越坂/越坂峠おっさかとうげ 地図 Trail-20210805 |
●奈良時代、松原駅(現在の敦賀市松島町辺り)から北上する時に通っていた北陸道の峠道。片峠で北側の傾斜がきつい。 |
●越坂の集落。現在はここをバイパスする形で山向こうに国道476号が通っている。 撮影地 |
▲ 敦賀市越坂 ▲ | 敦賀市田尻 | ▼ 敦賀市松島町 ▼ |
敦賀市田尻/ウツロギ峠 地図 Trail-20210805 |
●奈良時代の北陸道ルートにある峠道。現在は福井県道209号五幡新保停車場線の車両交通不能区間になっている。 |
●樹洞が出来た杉の大木が峠にあって、それを「空ろ木」と呼んだことが名前の由来との説がある。 |
●峠の往来安全地蔵。平安時代に木ノ芽峠越えが開かれてからは北陸道ルートから外れた。 |
▲ 敦賀市田尻 ▲ | 敦賀市松島町 | ▼ page end ▼ |
敦賀市松島町/武田耕雲斎等墓 地図 Trail-20210805 |
●敦賀市新保の町並み。天狗党823人は豪雪の中、木ノ芽峠を南に下りここ越前国新保宿に到着した。 撮影地 |
●天狗党は新保宿南方に布陣する幕府軍と対峙する形になり、この建物を本陣にして幕府軍使者と交渉した。 パネル |
●交渉の場となった本陣の書院。門を潜り、庭から式台へと続く。 解説板 天狗党が京都をめざした道のり |
●書院内部。手前に8畳敷下段の間、奥に6畳敷上段の間。天狗党首領の武田耕雲斎は投降することを決断した。 |
●参道脇にある水戸烈士追悼碑。1941年(昭和16年)建立。 |
●参道中程にある「武田耕雲斎等ゆかりの地」石柱門。ここから先に関係先からの献木が植樹されている。 |
●投降した天狗党の身柄は監禁された後、ここ来迎寺境内で処刑が行われ悲劇的な最期を迎えた。 |
●遺体を埋葬してできた5つの土塚は後に盛り土して1つの方形墳墓に集約された。左は武田耕雲斎像。 解説板 |
●墳墓の上に墓碑が前列8基、後列7基並び404人の氏名が刻まれている。(処刑者13基、戦死者1基、病死者1基) |
●手水舎。水戸烈士150年記念の際に改修されたもの。 |
●神殿。墳墓前にあったが大正時代に現在地へ遷座された。地元では天狗党慰霊の松原神社例祭が続けられている。 |
●神殿近くにある松原神社碑。徳川慶篤(水戸藩10代藩主)が寄進したもので撰文がびっしりと刻まれている。 |
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