愛媛県宇和島市の写真 宇和島市公式ホームページ:https://www.city.uwajima.ehime.jp/ |
宇和島市柿原 | ▼ 宇和島市野川 ▼ |
宇和島市柿原/須賀川ダムすかがわダム 地図 Trail-20211026 |
●宇和島市を流れる須賀川に造られた重力式コンクリートダム。堤高40m、堤頂長160m。 概要図 |
●堤体下流側。宇和島市街地の水害防除、上水道水源確保などを目的に1976年竣工した。 |
●放水設備は非常用クレストゲート2門、常用コンジットゲート1門、利水放流用ホロージェットバルブ1門を備える。 |
●幅4mで自動車通行可能な天端。宇和島市は台風による洪水と気候による渇水が深刻でダム治水が望まれていた。 |
●天端擁壁にはめ込まれたネームプレート。ダム事業者である愛媛県知事の揮毫になっている。 |
●天端から下流側を眺めると市街地が間近に見える。須賀川は市街地を貫流しているので氾濫時の被害が大きかった。 |
●ダム湖は一般公募により若山湖と命名された。宇和島市街地の守護神であり水がめとして重要な役割を担っている。 |
▲ 宇和島市柿原 ▲ | 宇和島市野川 | ▼ 宇和島市丸之内 ▼ |
宇和島市野川/三本杭さんぼんぐい 地図 Trail-20211026 |
●スーパー林道脇にある鹿のコル登山口。鬼が城山、大久保山、八面山を経由して三本杭に至る。 撮影地 |
●鬼が城山頂上(1,151m)。樹木のため眺望なし。 撮影地 |
●大久保山頂上。四等三角点(点名大久保山、1,156m)。ほぼ360゚眺望良好。 撮影地 |
●大久保山から西向いて宇和島湾方面の眺め。手前のトンガリ山は権現山(953m)。 |
●八面山(やつづらやま)頂上(1,166m)。樹木のため眺望は限定的で東方向が僅かに望める程度。 撮影地 |
●鬼が城山、大久保山、八面山のいずれにもトラバース道がある。写真は直進で八面山、右で大久保山手前。 撮影地 |
●鹿のコルから三本杭までこれと言った急登や難所はなく、穏やかなトレイルが続く。 |
●三本杭頂上。ミヤコザサ等で覆われているが以前は鹿の食害で裸地化していたとのこと。 |
●山頂プレートと一等三角点(点名滑床山、1,226m)。 |
●全周眺望良好。西向いて左から八面山、大久保山、遠くに宇和島湾、鬼が城山が望める。 |
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宇和島市丸之内/宇和島城 地図 Trail-20211026 |
●安土桃山時代、藤堂高虎が築城。その縄張を引き継いで2代藩主伊達宗利が改修し現在の姿になった。 解説板 |
●北東側登城口の武家長屋門。昭和時代に城下からここへ移築されたもので城とは関係ない。 解説板 |
●南側登城口の上り立ち門。藤堂高虎時代に建てられた可能性がある古いものらしい。 解説板 |
●標高70m程の城山に築城された。現在は城山公園として整備され、約400種類の植物群に覆われている。 |
●三の門跡辺りから本丸石垣の眺め。慶安や安政の大地震で石垣が破損し、都度修復したようだ。 本丸石垣解説板 |
●二の丸から本丸へ上がる櫛形門跡の眺め。 本丸跡解説板 |
●広々した本丸から天守閣(現存12天守の一つ)の眺め。明治の廃城令や戦火で御殿や櫓が無くなった。 天守解説板 |
●藤堂高虎は岩盤上に望楼型天守を建造した。伊達宗利は天守台を築き、3重3階の独立式層塔型天守を完成させた。 |
●切込ハギでピッチリ綺麗に積まれた天守台。唐破風屋根の玄関や装飾が随所に施され無骨な雰囲気がしない。 |
●本丸から城下と宇和島湾の眺め。往時は海と海水を引き込んだ水堀で囲まれた海城だった。 城下絵図 |
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宇和島市三間町/稲荷山龍光寺りゅうこうじ(真言宗御室派) 地図 Trail-20211026 |
●四国八十八ヶ所霊場第41番札所。稲荷神社の石鳥居だが龍光寺の山門でもある。 |
●境内の眺め。正面石段上に稲荷神社がある。狛犬や地蔵尊が並び、神仏一体となっている。 |
●手水舎。平安時代初期、空海(33歳)は明神を勧請して稲荷明神像を安置し、四国霊場の総鎮守とした。 |
●鐘楼堂。あわせて空海は稲荷の本地仏として十一面観世音菩薩を彫造し霊場を開創した。 |
●本堂。ご本尊は十一面観世音菩薩。旧本堂が稲荷社になったため新たにこの本堂が建立された。 |
●大師堂。 |
●稲荷神社。元は本堂だったが明治の神仏分離により稲荷神社の社殿になった。 解説板 |
●鳥居の所から境内と三間町の眺め。稲荷神社は「三間のお稲荷さん」と呼ばれ五穀豊穣などのご利益がいただける。 |
宇和島市三間町/一か山仏木寺ぶつもくじ(真言宗御室派) 地図 Trail-20211026 |
●四国八十八ヶ所霊場第42番札所。平安時代初期、空海(33歳)は大日如来像を彫造しこれを本尊として開創した。 |
●手水舎(改修中)。空海が牛の背に乗ってこの地に至ったことから家畜守護の寺として信仰を集めている。 |
●境内の眺め。 |
●鐘楼堂。江戸時代初期に再建されたもので四国霊場では珍しい茅葺屋根になっている。 |
●本堂。ご本尊は大日如来。江戸時代中期、吉田藩主伊達村賢が大師堂とともに寄進した。右隣に小さな家畜堂。 |
●大師堂。弘法大師像に正和4年(1315年、鎌倉後期)の胎内銘があり、銘入りの大師像として日本最古。 |
●弘法大師像。 |
●残木堂。空海が楠木で大日如来像を刻んだ際の残り木が取り置かれている。 略由 |
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