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愛媛県松山市の写真
松山市公式ホームページ:https://www.city.matsuyama.ehime.jp/
石手 いして
恵原町 えばらまち
浄瑠璃町 じょうるりまち
太山寺町 たいさんじちょう
高井町 たかいまち
鷹子町 たかのこまち
畑寺町 はたでらまち
丸之内 まるのうち
和気町 わけまち


松山市石手 ▼ 松山市恵原町 ▼
 松山市石手/熊野山石手寺いしてじ 真言宗豊山派 地図Trail-20220516
●四国八十八ヶ所霊場第51番札所。総門から入ると参道が回廊形式となり仲見世の土産物店が並んでいる。 解説板
松山市石手/熊野山石手寺


●総門横の強欲非道衛門三郎像。巡礼を重ね、再会した空海に懺悔している姿であろうか、凄い表情になっている。
松山市石手/熊野山石手寺


●総門横の手水場。衛門三郎が没した翌年に誕生した男児は「衛門三郎再来」と書かれた小石を握っていた。
松山市石手/熊野山石手寺


●仁王門(鎌倉後期、国宝)。奈良時代、伊予国太守が熊野十二社権現を祀り行基菩薩が薬師如来を彫造して創建した。
松山市石手/熊野山石手寺


●鐘楼堂は二つある。こちらは仁王門入って左にある仕合せの鐘。
松山市石手/熊野山石手寺


●仁王門入って右にある袴腰造の鐘楼堂(鎌倉後期、重文)は住職専用になっている。
松山市石手/熊野山石手寺


●本堂(鎌倉後期、重文)。ご本尊は薬師如来。
松山市石手/熊野山石手寺


●大師堂。平安時代初期、空海(39歳)は訪れて法相宗から真言宗に改めた。
松山市石手/熊野山石手寺


●弘法大師像。衛門三郎再来伝説によって安養寺から石手寺に改められた。
松山市石手/熊野山石手寺


●三重塔(鎌倉後期、重文)。境内には国宝や重文の堂宇が他にも色々あって密度が高い。
松山市石手/熊野山石手寺




▲ 松山市石手 ▲ 松山市恵原町 ▼ 松山市浄瑠璃町 ▼
 松山市恵原町/大法山文殊院徳盛寺とくじょうじ 真言宗醍醐派 地図Trail-20220516
●四国八十八ヶ所霊場番外札所。徳盛寺は衛門三郎の屋敷跡であり、四国八十八ヶ所霊場発祥の寺院とされる。 解説板
松山市恵原町/大法山文殊院徳盛寺


●手水場。平安時代、空海は文殊菩薩に導かれてこの地に逗留し徳盛寺を創建した。
松山市恵原町/大法山文殊院徳盛寺


●鐘楼堂。
松山市恵原町/大法山文殊院徳盛寺


●本堂。ご本尊は地蔵菩薩と文殊菩薩。
松山市恵原町/大法山文殊院徳盛寺


●大師堂。衛門三郎は当地の豪農であったが巡錫中の空海に無礼をしたがため次々と8人の子供を失った。
松山市恵原町/大法山文殊院徳盛寺


●弘法大師像。自分の罪深さに目覚めた衛門三郎は四国霊場を21回巡拝して空海と再会し懺悔、謝罪した。
松山市恵原町/大法山文殊院徳盛寺


●河野衛門三郎夫妻像。衛門三郎は空海により伊予国司に生まれ変わることができ善政を行ったとの伝。
松山市恵原町/大法山文殊院徳盛寺




▲ 松山市恵原町 ▲ 松山市浄瑠璃町 ▼ 松山市太山寺町 ▼
 松山市浄瑠璃町/医王山浄瑠璃寺じょうるりじ 真言宗豊山派 地図Trail-20220516
●四国八十八ヶ所霊場第46番札所。左側石柱門(句碑)に正岡子規の句が刻まれている「永き日や衛門三郎浄瑠理寺」。
松山市浄瑠璃町/医王山浄瑠璃寺


●手水舎。長い石柱に屋根を載せた構造になっている。愛媛県の寺院ではこのスタイルを多く見かける。
松山市浄瑠璃町/医王山浄瑠璃寺


●鐘楼堂。「薬師十二願の鐘」と呼ばれ、撞けば12の願いが叶うとの伝。
松山市浄瑠璃町/医王山浄瑠璃寺


●本堂。ご本尊は薬師如来。浄瑠璃寺は大和時代、布教のためにこの地を訪れた行基菩薩が薬師如来を刻像し創建した。
松山市浄瑠璃町/医王山浄瑠璃寺


●大師堂。平安時代初期、空海(33歳)は荒廃していた浄瑠璃寺伽藍を再興し四国霊場の一寺とした。
松山市浄瑠璃町/医王山浄瑠璃寺


●籾大師。石柱に「万徳自ら託す一粒の中」とある。豊作延命のご利益がいただける。
松山市浄瑠璃町/医王山浄瑠璃寺


●樹齢千年以上のイブキビャクシン。弘法大師が加持した霊木との伝。 解説板
松山市浄瑠璃町/医王山浄瑠璃寺




 松山市浄瑠璃町/熊野山八坂寺やさかじ 真言宗醍醐派 地図Trail-20220516
●四国八十八ヶ所霊場第47番札所。山門を兼ねた極楽橋から境内へ。天井に菩薩と阿弥陀如来が描かれている。 解説板
松山市浄瑠璃町/熊野山八坂寺


●手水場。ドクダミが庭の景色に活かされている。
松山市浄瑠璃町/熊野山八坂寺


●鐘楼堂。八坂寺は飛鳥時代、修験道の開祖・役行者が開基し文武天皇の勅願により伊予国司が堂塔を建立した。
松山市浄瑠璃町/熊野山八坂寺


●本堂。ご本尊は阿弥陀如来。本堂地下室には奉納された阿弥陀尊約8,000体が祀られている。
松山市浄瑠璃町/熊野山八坂寺


●大師堂。平安時代初期、空海(41歳)は八坂寺で修法し荒廃した寺を再興して霊場と定めた。
松山市浄瑠璃町/熊野山八坂寺


●弘法大師像。
松山市浄瑠璃町/熊野山八坂寺


●本堂と大師堂の間にある閻魔堂。堂横の通路に極楽浄土と地獄(餓鬼道/畜生道/修羅道)が描かれている。
松山市浄瑠璃町/熊野山八坂寺




▲ 松山市浄瑠璃町 ▲ 松山市太山寺町 ▼ 松山市高井町 ▼
 松山市太山寺町/瀧雲山太山寺たいさんじ 真言宗智山派 地図Trail-20220516
●四国八十八ヶ所霊場第52番札所。奈良時代、聖武天皇の勅願にて行基菩薩が十一面観音像を彫造し創建した。 解説板
松山市太山寺町/瀧雲山太山寺


●門は4つあり、これは三の門となる四天王門。入母屋造の楼門で江戸初期に再建された。
松山市太山寺町/瀧雲山太山寺


●手水舎。縦柱四本とも石柱になっている。
松山市太山寺町/瀧雲山太山寺


●江戸初期再建の鐘楼堂だが梵鐘は室町初期のものが吊るされている。
松山市太山寺町/瀧雲山太山寺


●本堂(鎌倉後期、国宝)。ご本尊は十一面観世音菩薩。初代本堂は飛鳥時代に真野長者が一夜にして建立したとの伝。
松山市太山寺町/瀧雲山太山寺


●大師堂。平安時代初期、空海(50歳代)は太山寺を訪れて護摩供の修法をし、法相宗から真言宗に改めた。
松山市太山寺町/瀧雲山太山寺


●弘法大師像。左下にある石像の表情と右手の置き方が気になって仕方ない。
松山市太山寺町/瀧雲山太山寺




▲ 松山市太山寺町 ▲ 松山市高井町 ▼ 松山市鷹子町 ▼
 松山市高井町/清滝山西林寺さいりんじ 真言宗豊山派 地図Trail-20220516
●四国八十八ヶ所霊場第48番札所。西林寺は聖武天皇の勅願により行基菩薩が伊予国司とともに創建した。
松山市高井町/清滝山西林寺


●西林寺境内は川の土手より低い位置にあり、邪悪な者は無間地獄に落ちるとの伝。 境内案内図
松山市高井町/清滝山西林寺


●手水舎。平安時代初期、空海(33歳)は西林寺を四国霊場と定め国家安泰を祈願する道場とした。
松山市高井町/清滝山西林寺


●鐘楼堂。右側は子育地蔵尊。水色ベンチは企業が奉納したものであろうが方々の寺院で見かける。
松山市高井町/清滝山西林寺


●本堂。ご本尊は十一面観世音菩薩。
松山市高井町/清滝山西林寺


●大師堂(平成20年再建)。
松山市高井町/清滝山西林寺


●本堂左にある阿弥陀堂(平成30年再建)。阿弥陀如来坐像と閻魔像が安置されている。
松山市高井町/清滝山西林寺




▲ 松山市高井町 ▲ 松山市鷹子町 ▼ 松山市畑寺町 ▼
 松山市鷹子町/西林山浄土寺じょうどじ 真言宗豊山派 地図Trail-20220516
●四国八十八ヶ所霊場第49番札所。浄土寺は奈良時代、孝謙天皇の勅願寺として恵明上人により創建された。 解説板
松山市鷹子町/西林山浄土寺


●手水舎。平安時代中期、空也上人は四国巡歴の際に浄土寺に数年間滞留し自刻像を残した。
松山市鷹子町/西林山浄土寺


●鐘楼堂。地面に直に建てられているのはめったに見ない。
松山市鷹子町/西林山浄土寺


●本堂。ご本尊は行基菩薩が彫造した釈迦如来像。口元から六体の阿弥陀小化仏を吐く空也上人立像も安置されている。
松山市鷹子町/西林山浄土寺


●大師堂。空海は浄土寺を訪ね荒廃していた伽藍を再興した。
松山市鷹子町/西林山浄土寺


●弘法大師像。左手に掛けた数珠が長い。
松山市鷹子町/西林山浄土寺




▲ 松山市鷹子町 ▲ 松山市畑寺町 ▼ 松山市丸之内 ▼
 松山市畑寺町/東山繁多寺はんたじ 真言宗豊山派 地図Trail-20220516
●四国八十八ヶ所霊場第50番札所。繁多寺は奈良時代、孝謙天皇の勅願により行基菩薩が創建した。 解説板
松山市畑寺町/東山繁多寺


●手水舎。
松山市畑寺町/東山繁多寺


●江戸中期の梵鐘が吊るされた鐘楼堂。天井絵に中国の二十四孝が描かれている。後方の石鳥居は聖天堂。
松山市畑寺町/東山繁多寺


●本堂。ご本尊は薬師如来。
松山市畑寺町/東山繁多寺


●大師堂。空海はこの地を巡錫し光明寺から現在の繁多寺に改称した。
松山市畑寺町/東山繁多寺


●弘法大師像。
松山市畑寺町/東山繁多寺


●本堂左の聖天堂。徳川家の帰依を得て4代将軍家綱の念持仏の一つである歓喜天が祀られている。
松山市畑寺町/東山繁多寺




▲ 松山市畑寺町 ▲ 松山市丸之内 ▼ 松山市和気町 ▼
 松山市丸之内/伊予松山城地図Trail-20211026
●勝山の麓に三の丸、中腹に二の丸、山頂に本丸がある。細長い本丸の上に本壇、天守台が積まれている。 マップ
松山市丸之内/伊予松山城


●戸無門(現存)。江戸時代初期、伊予松山藩初代藩主・加藤嘉明が25年の歳月をかけて築城した。 図面
松山市丸之内/伊予松山城


●戸無門を潜った所にある筒井門と続櫓(全て復元)。昭和初期までは本丸に40棟の建造物が現存していた。
松山市丸之内/伊予松山城


●筒井門を潜った所にある太鼓門と巽櫓(全て復元)。建造物は放火や空襲で次々失われ、21棟にまで減少した。 図面
松山市丸之内/伊予松山城


●本丸は南北に300m程あり「屏風折れの石垣」と呼ばれる。手前に馬具櫓、本壇に南隅櫓、小天守、大天守(現存)。
松山市丸之内/伊予松山城


●本壇石垣と北隅櫓、十間廊下、南隅櫓(全て復元)。昭和33年から再建が進められ、本格木造で30棟以上復元された。
松山市丸之内/伊予松山城


●1784年の落雷で天守焼失。1854年、第12代松平勝善が連立式層塔型三重天守として再建した。
松山市丸之内/伊予松山城


●本丸から城下の眺め。大天守は現存十二天守、松山城は日本三大連立式平山城の一つに数えられる。
松山市丸之内/伊予松山城


●本丸西端にある乾門と乾門東続櫓(全て復元)。国宝指定作業資料が残っていたので復元が可能になった。 図面
松山市丸之内/伊予松山城


●加藤嘉明騎馬像。多くの武功を挙げ、伊予松前6万石から伊予松山20万石へ。松山城完成前に会津藩43万石へ移封。
松山市丸之内/伊予松山城




▲ 松山市丸之内 ▲ 松山市和気町 ▼ page end ▼
 松山市和気町/須賀山円明寺えんみょうじ 真言宗智山派 地図Trail-20220516
●四国八十八ヶ所霊場第53番札所。円明寺は奈良時代、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建した。 八脚門解説板
松山市和気町/須賀山円明寺


●手水舎。大棟の鬼瓦や飾りの部分が素晴らしい。
松山市和気町/須賀山円明寺


●鐘楼堂。
松山市和気町/須賀山円明寺


●境内の中央にある中門(楼門)。
松山市和気町/須賀山円明寺


●本堂。ご本尊は阿弥陀如来。厨子に打たれていた銅板製の納札は江戸初期のもので現存最古とされる。
松山市和気町/須賀山円明寺


●大師堂。空海(50歳代)は巡錫で訪れ荒廃した円明寺諸堂を整備し霊場として再興した。
松山市和気町/須賀山円明寺


●弘法大師像。
松山市和気町/須賀山円明寺


●境内にあるキリシタン灯籠。聖母マリア像を浮き彫りにしたものでキリシタン禁制の名残をとどめている。
松山市和気町/須賀山円明寺


▲ 松山市和気町 ▲ page end

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